「なんで出れないんだよ……!」

 

 俺は何度も壁を叩いたが無駄だった。硬い壁だ。そして出口はどこにもない。

 

「畜生……! 出せよ!!」

 

 天井には空調機器があり、壁には食事のトレーが出入りする穴が空いている。あとは、申し訳程度に仕切られた小さなスペースがあり、そこがトイレだった。だがそれ以外、ここにはドアも窓もなかった。

 もう何時間経っただろう。あらゆることを試した末に俺は悟る。ここから自力で出るのは無理だ。

 

「畜生!!」

 

 一体なぜこんなことになっているのか。

 

「爪、大丈夫?」

 

 俺が怒りと混乱とで頭を沸騰させているというのに、床に座り込んだ仁田見は落ち着いた声で言う。

 

「大丈夫なわけあるか」

「見せて」

 

 俺はもう、どうしていいかわからずに座り込んだ。そうすると、男が近寄ってきて俺の指を掴む。

 

「血が出てる」

 

 あちこち壁を叩いたりひっかいたりするのに夢中で、爪がはがれかけていることに気づかなかった。気づいてしまうと、急に痛みが襲ってくる。

 出られない。どうやっても。

 仁田見は俺の指を掴んだだけで、どうするでもない。

 

「セックスすればいいんだろ?」

 

 俺は男の肩を掴む。

 

「それしかない。するぞ」

 

 この部屋から出られるなら爪の一枚や二枚、どうなったっていい。それと同じことだ。男同士でセックスをしたこともないし、したいと思ったこともないけれど、そんなことくらいで出られるなら構わない。どうせ一度だ。犬に噛まれたと思って耐えればいい。

 

「しない」

 

 だが、落ち着き払って仁田見は言った。

 

「しろって言ってんだから、すればいいんだろ!!」

「落ち着けよ。しても出られるとは限らない」

「だとしても、このままでいるよりいいだろ!」

 

 何もしないでいると気が狂いそうだった。この部屋には暇を潰すようなものは何もない。ただ真っ白い壁ばかりを見ていると、やたらとむしゃくしゃしてくる。

 

「なんでしないんだよ」

「なんでって……友だちだろ」

「でもお前、俺のこと好きだろ」

 

 こんなことでもなかったら、一生口にしないだろう言葉だった。確かに俺は、ずっと前から知っていた。知っていて、知らない振りをしていた。それが一番いいと思ったのだ。俺は男と付き合うつもりなんてない。

 怒るかと思ったが、意外なことに彼は笑った。

 

「だから?」

「セックスもできる。外にも出れる。一石二鳥だろって言ってんだよ」

 

 俺ももう引っ込みがつかなくなっていた。

 

「セックスって軽く言うけど、男とやったことあるのか? いつも竹本とかにべたべた触らせてるけど、それとはわけが違うんだぞ」

 

 なぜか余裕たっぷりに仁田見は言う。

 

「……あるわけねぇだろ」

「それはよかった」

 

 何が言いたいのかわからない。

 

「確かに俺はお前のことが好きだ。でも、しない」

「なんでだよ! 俺がいいっていってんのに、なんで」

「セックスしなければ、ここから出なくていいんだろ?」

「は?」

「そうしたらお前は、もう鈴木と遊びに行ったり、竹本とべたべたしたりしない。趣味の悪い女に捕まることもない」

 

 仁田見はまったく表情も変えずに言った。遠回しの嫌みなのかと思った。

 だけど、こいつは本気だ。それがわかって、俺は寒気を覚える。

 

「……本気で、言ってんのか?」

「この部屋にはお前がいる。それ以上何がいるんだ?」

 

 仁田見は当たり前のことを述べるかのように、とてもあっさりと言った。

 

 ・

 

 この部屋は狂っている。

 一日に三度、食べ物と水が供給される。空調は二十四時間きいているようだ。

 この部屋からは、セックスしないと出られない。オーラルだけではだめで、男性同士の場合はアナルセックス。それが、ここから出るための条件だった。

 

「……っくそ」

 

 俺は、あらゆる方法を試してみた。

 出てくる食べ物を食べずにハンストをしたり、空調を分解しようとしてみたり、叫んだり、動かなくなったふりをしたりしてみた。でも、何も反応はなかった。

 だとしたらもう、方法はひとつしかない。

 

「しないって、言ってるだろ」

 

 俺は仁田見にのしかかる。この部屋に閉じ込められているのは、俺たち二人だけだ。だから、セックスが可能な相手は他にいない。

 知り合いであるのはまだマシなことなのだろうか。恋愛対象としては見れないが、嫌いな訳ではない。事故に遭ったと思って耐えられないことはないと思う。

 

「じゃあ俺がお前を犯す」

「……勃たないって」

「やればできるだろ」

 

 やつがしないと言うのなら、俺がこいつをレイプでも何でもするしかなかった。条件の中に、合意の有無は含まれない。

 俺は何とか気分を出そうと、彼の体を押し倒して服の上から体をまさぐる。

 かたい体だ。女の子の柔らかさとは似ても似つかない。そういえば剣道はやめたが今でも筋トレはしてると言っていた。無理やり胸を撫でたり、太ももをさすってみたり、色々としてみた。脳裏にお気に入りの女優を呼び出してみたりもする。でもやっぱり無理だった。

 

「くそっ」

 

 事態が事態なので仕方がないとはいえ、人形のように動かない仁田見の前で、あれこれするのはみじめだった。

 こうなったら、もう嫌だが仕方がない。

 

「やれよ」

 

 仁田見の顔を見下ろす。別に、生理的な嫌悪感を覚えるわけじゃない。仁田見は一見地味だが、わりと整った顔立ちをしている。腹の立つことに、むしろ俺よりモテるのは知っている。

 

「俺が受け身になる方でいいって言ってんだよ」

「やらないって言ってるだろ」

 

 仁田見は呆れたように言う。本気でここから出ないつもりだろうか。

 俺は思い切って、その唇にキスをした。そんなことをしたかったわけではないが、仕方がない。こういうのは気分も大事だ。

 唇を合わせると、仁田見は初めて抵抗を見せた。嫌そうに顔を背けるので、強引に顔を固定して、舌を差し入れようとする。

 だが、俺は思い切り突き飛ばされ、尻餅をつく。

 

「なっ……」

 

 あろうことか、仁田見は自分の唇をごしごしぬぐう。

 

「キスは好きな人としたほうがいいよ」

「おい、ふざけんな!」

 

 キスなんてしたくてしたわけじゃない。仕方なくここまで体を張ってやっているというのに。

 

「俺のこと好きなんだろ!! じゃあやれよ!!」

「死んでもやらない」

 

 どうして俺がこいつに迫っているのだろう。逆のはずだ。俺のことを好きで、やりたくてたまらないのはこいつなのだ。

 

「俺のこと好きなんじゃないのかよ!!」

「……そうだよ」

 

 仁田見は立ち上がる。俺は反射的に後ずさりしようとしていた。

 仁田見が一歩近づいてくる。俺はまた後ずさる。

   いざ迫られると怖い。だが仕方がない。仕方がないのだ。気がつくと俺は壁にまで追い詰められていた。

 

「な……んだよ」

 

 壁と奴の体に挟まれて俺は身動きが取れない。しゃがみこんだ仁田見が壁に手をついたとき、反射的にびくりとしてしまった。

 きっと男同士のセックスなんて痛いに違いない。怒らせてしまったから、優しくなんてしてもらえないだろう。でも仕方ない。耐えるだけだ。

 仁田見はかすかに笑いながら、低い声で囁いた。

 

「気が狂いそうなくらい好きだ。だから、しないんだよ」

 

 

 別に直接何を言われたわけでもない。

 でもいつからか知っていた。仁田見が、俺のことを好きだということ。でも、それは俺にとっては大して重要でもなかった。

 俺にとって彼はたまに遊ぶ大勢のうちの一人で、特別な思いはない。気持ち悪いとは思わなかった。むしろ、少しの優越感を覚えたくらいだ。

 俺は先月彼女と別れた。向こうが浮気をしたせいだった。ろくでもない女だったことは認める。でも、俺はやっぱり女が好きだ。男と付き合うなんてまともには考えられない。

 俺のそんな考えを彼も知っていたのだろう。

 この部屋に閉じ込められるまで、仁田見ははっきりとはなにひとつ言ってこなかった。

 

 ――だがこれは何だ。

 

 俺は仁田見のことなんて全然好きじゃない。なのに、どうにかしてセックスをしようとしている。

 そして、ずっと俺のことを好きだったはずの仁田見は、絶対にしたがらない。普通、相手を好きならセックスがしたくて、好きじゃないならしたくないものじゃないのだろうか。

 俺は部屋の隅で、何とか目をつむる。だけど、ろくに眠れるはずがなかった。

 

「お前、いつから俺のこと好きなわけ?」

 

 今更取り繕っても仕方がない。一生こんなこと聞かないと思っていたが、この際だからと思って俺は尋ねる。

 

「さぁ……だいぶ前からかな」

「だから彼女作らなかったのか?」

「それもあるけど」

 

 深入りするつもりなんてなかった。自分を好きな男の心情を深く知っても仕方がない。

 でもこの部屋に話し相手は彼しかいない。腹が立っても、結局は彼と話すしかなかった。どうしてよりによってこいつなのかとは思うが、一人きりで閉じ込められるよりはましだ。

 

「……あのさ、別に、外に出てからだって遊びに行こうぜ、二人で」

 

 俺は無理に笑いながら言ったが、仁田見の反応は鈍かった。

 

「どっか行きたいとことかないか? 外はいいぞ。ほら、遊園地でも海でもさ。楽しいこと、たくさんあるだろ」

 

 どうして男をデートに誘うようなことを言わなければならないかと思ってむなしくなるが、仕方がない。とにかく外に出てしまえばこっちのものだ。

 

「旅行だっていい。温泉とかいいよな、もう何日風呂に入ってないんだよ。あー風呂入りてぇ」

 

 だが、仁田見はまるで話に乗ってこない。

 

「俺はここでいい」

 

 俺はよくないんだ!!と叫びたい気持ちを押し殺す。この狭苦しい部屋の中が、彼にとってだって快適であるはずがない。

 これほど彼が頑固だとは思わなかった。俺はため息をつく。

 

「男とすんのって実際どうなんだろうな」

 

 仁田見は黙っている。

 

「女相手でも後ろでやるやつとかいるけどさ、やっぱ締まりがいいってことだよな? いやー、俺もできんならやってみたいけどお前相手じゃ勃たないしなー」

「ちょっと黙っててくれ」

 

 この狭い部屋の中では、空気が悪くなっても逃げようがない。

 

「だってどうにかするしかないだろ」

「海? 遊園地? 賭けてもいい、お前は絶対に行かない。どうせ外に出られればどうだっていいって思ってんだろ?」

 

 俺はついぎくりとしてしまった。確かに図星だったからだ。だって外に出れば女の子もいくらでもいるし、他にも友人はいる。わざわざ仁田見だけと出かける理由なんてない。

 

「好きならやれ? 抱かせてやる? 何様だよ」

「……っ」

 

 別に俺だって好きでそんなこと言ったわけではない。痛そうだし、別に彼のことを嫌いでなくたって怖い。

 

「もう寝る」

 

 そう言って彼は背中を向けた。

 

「なんだよ……」

 

 俺は何かもっと文句を言ってやりたかった。でも、これ以上空気を険悪にしたくもなかったので黙っていた。

 出られる条件ははっきりしている。すべきことは明確で、お互い協力するしかないのは明らかだった。単純な話のはずだ。

 なのにどうしてこんなに難しいのか。目を閉じたけれどなかなか眠れなかった。

 

 ・

 

 俺は少しだけ反省をした。相手は機械じゃない。人間だ。やればいいんだからやろう、そういう風に単純には動かない。

 

「何でもいいから、話しようぜ」

 

 他に暇つぶしもないので、俺は毎日仁田見と話していた。好きなもの、嫌いなもの、初恋の思い出、親との記憶……おかげで彼の生まれから何からもう完璧に把握してしまった。

 トランプのひとつでもあればまだマシだった。でも何もない。だからじゃんけんをしたり、連想ゲームをしたり、何とか気を紛らわせた。

 仁田見は悪い奴ではない。それは最初から知っている。

 

「外出たら一番に何食いたい?」

 

 考えるだけ辛くなるのはわかっていたが、でも想像せずにはいられなかった。とろとろの卵の親子丼、新鮮な寿司、のどごしのいい蕎麦。食べたいものならいくらでも思い浮かぶ。

 

「……何だろうな」

「何かあんだろ」

「今は、外のことはあんまり考えられない」

 

 壊れた機械みたいにぼんやりと仁田見は言う。

 

「この部屋ですべてが終わればいいのに」

 

 よくない。いいわけがない。

 肉汁のしたたるステーキより、注ぎたてのビールより、この部屋は彼にとってそれほど魅力的だというのだろうか。

 

 〝この部屋にはお前がいる、それ以外になにがいるんだ?〟

 

 そうして何日が経ったのだろう。たぶん一週間は過ぎただろう。

 

「気ぃ狂いそう……」

 

 どれほど仁田見と話をしても、状況は変わらない。

 

「もう寝ろ」

「寝れねぇんだよ!」

 

 一日中部屋の中にいるだけでは、眠気もやってこない。いつしか昼も夜も曖昧になっていく。

 

「……やっぱり、やらねぇのか」

 

 俺はじっと仁田見を見る。これだけ疲労させられる状況にあっても、やっぱり彼の顔は変わらない。

 

「ああ」

 

 俺たちは平行線のままだった。

 俺は何とかしてこの部屋を出たい。本気でこのままだと、仁田見とここで朽ち果てるしかなくなる。どうしても彼とセックスをするしかなかった。それ以外にない。俺はこの部屋でなんか終わる気なんてない。

 この狂った部屋の中には、セックスをしろと言うだけあって、ローションもコンドームも備え付けてあった。どうせなら他の物を用意しろと思うが、言ってもどうせ伝わらない。

 

「こんなもん……」

 

 それならば使ってやる。俺は、仁田見が寝入ったのを見計らって、ローションを取り出す。

 ここに挿入が必要なら、他に方法はない。指を入れると変な感覚がした。こんなところで本当にやれるのだろうか。吐き気がせり上がってくる。でもやるしかない。

 狭い部屋の中では、寝入る仁田見の寝顔が見えていた。変な感じだった。俺は、こいつに犯されるために準備をしているのだ。あれだけのことを言うんだから、仁田見はきっと俺に勃つんだろう。

 この狭い場所に、こいつのが。無理だ、と反射的に思う。でもただ指を機械的に動かしていたときと違って、何だか変な感じがする。

 きっと大きくて熱いだろう。俺は知らず知らずのうちに、ごくりと唾を飲んでいた。

 あれが。ここに入る。

 一日目と二日目は、指を一本。三日目は何とか二本に増やした。

 

「……何してる?」

 

 さすがに狭い部屋の中で、仁田見に気づかれずにいることは難しかった。トイレでやればいいのだが、なぜか俺は一日目の夜以来、彼の顔が見えるところでしかその行為ができなかったから。

 

「わかんねぇの?」

 

 じっと顔を見ながら俺は笑った。仁田見の顔が赤くなるのがわかる。そんな風に彼が動揺したのは初めてだった。いける。気分が高揚してくるのを感じる。

 

「お前の、でかそうだから慣らしてんだよ」

 

 ・

 

 仁田見は俺を避けるようになった。でも、狭い部屋の中でそれはうまくいかなかった。

 

「何だよ」

 

 俺の中は、もう指なら三本くらいは入るようになった。

 

「……いや」

「しようぜ、話」

「何の」

 

 俺たちがこうしてこの部屋の中にいる間にも、外では時間が経っている。俺は早く外に出たい。

 仁田見は俺の顔を見ようとしなかった。何だかこれはこれで面白かった。俺はわざと彼の正面に回って顔を覗き込もうとする。

 

「やめてくれ」

 

 肩を掴まれ、押しのけられてしまう。だけど俺は諦めなかった。元凶はこの部屋であるとはいえ、仁田見には苦しめられた。もっと焦って困ればいい。

 

「なぁ」

 

 俺は彼の太ももに手をかける。絶対にしない、と言っていた彼の反応は、俺が自分で彼を受け入れるための準備をしているところを見られてから少し変わった。

 自分より図体の男相手に変だけれど、動揺している彼の反応はかわいいと思ってしまう。

 

「しゃぶってやろうか」

「やめてくれって」

 

 抵抗する仁田見の声は力ない。あれだけ強く「しない」と言っていたのに、いざとなればこんなものだ。俺は思わず笑いそうになってしまう。

 

「したくないだろ、そんなこと」

「いや」

 

 もちろん今までだったらそんなこと、考えもしなかった。男のものを口にするなんて、俺の中では絶対にありえないことだ。でも今、俺はそうしてみたくて仕方がなかった。もっとこいつを焦らせてやりたい。

 そうしてこらえきれなくなって、俺を押し倒せばいい。俺はごくりと唾を飲み込む。

 

「今はちょっとしてみたい」

 

 一瞬、仁田見は泣きそうな顔で俺を見た。彼は完全には俺を拒絶しきれない。だって、あれだけしないと言っていたって、結局は俺が好きで、俺としたいのだから。ぞくぞくする。俺は彼の隙を見逃さず、ズボンに手をかける。

 俺の体を押しのけようとする彼の力は弱かった。俺は彼の下着に触れる。

 

「なんだ、お前半勃ちじゃねぇか」

 

 下着の上から握ると、う、と彼は短い声を漏らした。

 俺は下着の中に手を入れて直接にそれを握る。そういうことをするのに、抵抗は全然感じなかった。

 

「大丈夫、口でするだけなら出れねぇんだから」

 

 まだやわらかい。だけどそこは、確かに反応を示している。我慢強かろうと、結局は男だ。俺は笑って、その先端に舌を這わせた。

 

「……っ」

 

 「しない」と言い切っていた男が俺の行動に快楽を感じ、それに耐えているのを見るのは妙に楽しかった。早く屈服して、入れさせてくれとねだればいい。そのために俺の奥はローションでどろどろに慣らしたのだ。

 俺の舌や指先ひとつで、仁田見は苦しげな声を漏らす。

 

「気持ちいいか?」

 

 大きくなった性器からもそれは明らかであるのに、わざと声に出して言った。

 

「すげぇ、でかい」

 

 もっと苦しめ、と思う。そして耐えきれずに俺を押し倒せばいい。実際仁田見のものの大きさは俺の指とは全然違っていた。痛いかもしれない。でも、俺は全然怖いとは思わなかった。

 

「仁田見」

 

 名前を呼んで、自分の方を向かせる。嫌らしく性器に舌をはわせているところで目が合った。ひときわ彼の性器が大きくなった気がする。

 

「俺ん中、入れたいだろ?」

 

 仁田見の息づかいが聞こえる。先端からは先走りの液がにじんできていた。もう少しだ。もう少しで、この男は落ちる。

 

「入れたら、気持ちいいだろうな?」

 

 うっそりと笑いながら、太い幹を舌で舐め上げた。

 

「……っ」

 

 仁田見は急にはじかれたように体を引くと、俺を突き飛ばす。

 

「おいっ」

 

 そのまま仁田見はトイレの壁の向こうに行ってしまう。だがトイレは仕切りがあるだけで、個室にはなっていない。追うこともできたけれど、頑固な仁田見のことだ。突き飛ばされるのがオチだろう。

 

「……っくそ」

 

 俺は口を拭う。自分の体に触れられているわけじゃない。男のものを口にしただけだ。なのに、妙に体がほてっている。自分のズボンを見ると、前が張っているのがわかった。俺はどうしてしまったんだろう。この部屋のせいだ。

 仁田見の気持ちも前から知っていた。でも口にするつもりはなかった。男とどうこうなんて、考えたこともなかったからだ。

 頭がぼうっとする。早く、と思う。さっき舐めた口の中のもののサイズを思うと、じわりと体が熱を帯びた。

 

 

 

「好きでもないのに、こういうのはよくない」

「抜いてから言っても説得力ねぇよ」

 

 この期に及んで仁田見はまだ抵抗をしようとするようだった。

 好きでも好きでなくても、セックスくらいできる。だからこそ俺は部屋から出るために、さっさとしようと言ったのだ。俺のことを好きなやつが相手だったら、勃つだろうし都合がいい。そう思っていた。

 

「お前が、ここから出たいのはわかってる。でも、一回やって、外に出たらもう俺とは会わないんだろ」

 

 もし仮に今、他の人間がこの部屋に突然現れて、そいつとセックスしてもこの部屋から出られるということになったとしても、俺は仁田見とすると思う。

 もしやってきたのが女だとしてもだ。なぜだろう。いや、理屈なんてどうだっていい。

 

「お前とすんのが良かったら、外でもしてもいい」

「嘘ばっかり」

「『良かったら』だよ。だって今までしたどんなセックスより気持ちよかったら、外でだってしない理由、ないだろ」

 

 仁田見は何か言いたそうな顔で押し黙る。

 

「何だよ」

「そんなこと言ってどうせ、また女と付き合って、鈴木や竹本と遊ぶくせに」

 

 仁田見はやたらと鈴木や竹本の名前を出すが、確かによく遊ぶとはいっても友人だ。もともと俺は、男を恋愛の対象として考えたこともない。

 女が好きだった。でも元彼女から浮気されて捨てられたのはそれなりにしんどい経験だった。もう彼女と会うつもりはないし、すぐには誰かと付き合いたい気持ちにもなれない。

 確かに俺もわからなかった。この狂った部屋を出たら、俺は前のように戻るんだろうか。勃つかと思って女の裸だって何度も想像した。なのに今、俺の頭の中は仁田見に抱かれることでいっぱいだった。

 こいつはたぶん、浮気なんてしないんだろうなと思う。逆に俺が浮気でもしたら殺されそうだ。そういう想像は、なぜか不思議と不快でもなかった。

 

「わかったわかった、すげぇ良かったら、外出てもお前と付き合う。それでいいんだろ? だから一緒に外、出ようぜ」

 

 キスは好きな人とどうこうと言っていたことからして、仁田見はかなり純情だ。一生一緒にいたいという発想からして、恋愛に夢を見ているのだろう。だから付き合うと言ってやれば、満足するだろうと思った。

 

「ふざけんな」

 

 だが仁田見はまた機嫌を損ねてしまった。せっかく俺が、セックスするだけじゃない。付き合おうとまで言っているのに。

 

「おい」

「言ってるだろ、お前とは死んでもセックスなんてしない」

 

 仁田見は、苦しそうに顔を歪めて笑っていた。

 

「お前はここで、俺と死ぬんだよ」

 

 ・

 

 三歩進んで二歩戻る。いや、三歩戻っただろうか。

 どうしてせっかく順調に来たというのに、キレられなければならないのか。セックスしよう、というだけじゃない。付き合おうとまで俺は言っているのだ。

 もうこのままでいても埒があかない。俺は初めて、後ろをいじりながら自慰をした。

 

「……あっ」

 

 そんなことで気持ちよくなれるとは思わなかった。でも、自分の奥の方に気持ちよくなれる場所を見つけてからは、前をいじるだけとは違う刺激に、どんどんくせになっていっていた。

 どうすれば仁田見は入れてくれるのだろう。

 いったばかりの頭はぼうっとしている。もう何日この部屋にいるのか。まともにものが考えられない。

 俺は、寝そべる仁田見に近づく。下半身は裸の状態のままだ。合意の有無は条件に含まれない。

 また舐めて勃たせて、入れてしまえばいいだけだ。俺はそっと、彼のズボンを脱がせようとする。

 仁田見は眠っているようだった。仮に寝たふりだとしても構わない。入れてしまえば俺の勝ちだ。

 仁田見の性器は、触れると半ば勃ち上がりかけていた。なぜ、と思うまもなく腕を掴まれる。

 

「そんなに外に出たい?」

 

 早く完全に勃起させて入れてしまわないといけない。だけど、腕を掴まれて仁田見の性器に手が届かない。

 

「好きでもない俺のものを咥えてまで?」

 

 仁田見の指が、俺が必死でほぐした場所に伸ばされて俺は息を飲んだ。

 

「……っ」

 

 自分の指とはやはり感覚が違う。でも、ローションをたっぷり塗った場所は彼の指を難なく受け入れていく。さっき一度達したばかりで、刺激は強すぎるほどだった。

 

「これは……外に出るために、仕方なく!」

「こんなにして?」

 

 指を動かされると声が殺せなくなる。自分ひとりでするのも気持ちがよかったけれど、それとはまたまるで違った快感だった。息がすぐに上がっていく。

 

「すごい……どろどろ」

 

 濡れた音がする。指が探るように中を動くたび、ひくんと体が震える。

 

「……や、っ、あ」

 

 体の熱がどんどん高まっていく。理性を失っていく俺と対照的に、まだ仁田見は冷静さを保っているように見えた。俺だけがいかされて終わりではだめだ。

 何かもっと、突き崩してやらないとこいつは動かない。

 

 〝気が狂いそうなくらい好きだ、だからしないんだよ〟

 

 好きだと言っても、付き合おうと言ってもたぶん逆効果だろう。

 気持ちが良くて、強すぎる刺激が苦しくて、目に涙がたまってくる。

 

「なぁ……欲しいんだ、入れてくれよ」

「外に出たいからそんな恥ずかしいこと言えるんだ?」

 

 仁田見の指は俺の胸に伸び、いじったこともないその場所を摘まむ。奥を刺激されながらそこを強くなぶられると、変な感じだった。

 

「ちが……」

「違わないだろ? 外に出たいから、男のものもしゃぶれるし、自分からケツも差し出す」

 

 別に誰のものだってしゃぶったわけではない。そんなことしたくない。でも、仁田見のもならしてみたいと思ったのだ。そういうことを、俺はうまく口にできなかった。

 

「違う、お前のが……、欲しいんだよ」

 

 口にするとかえって体がほてった。仁田見の指に奥まった場所を刺激され、すっかり俺の性器も先走りの液を垂らしていた。

 

「あ……っ、んっ、や……入れて、くれ」

 

 仁田見の目がじっと俺の全身を観察しているのを感じる。そんな目線にさえぞくぞくする。

 

「入れない」

 

 低い声で仁田見は俺の耳元で囁く。俺はもう、このまま奥と胸への刺激だけでいってしまいそうだった。悔しくて、欲しくて、俺は仁田見にすがりつく。

 指だけでも気持ちがいい。でも、それだけじゃ足りない。

 

「入れて……、頼むから」

 

 恥ずかしい言葉を口にすることで、更に俺は興奮していた。早く入れてもらうことしか考えられなくなっていく。

 

「入れないよ」

 

 だけど仁田見は優しげな声で囁いて、俺の胸を強く摘まんでくる。

 

「や……っ」

 

 目に見える仁田見のものももうがちがちに勃起していた。俺はごくりと唾を飲む。入れさせてくれないなら舐めるだけでもいい。何を考えているのだろう。手を伸ばそうとすると、仁田見に腕を掴まれて阻止された。

 

「なぁ……欲しいんだよ……」

 

 腰が自然に揺れる。固くて大きいもので貫かれたときのことを想像して、中がきゅうと収縮する。

 でも、仁田見は本当に頑固だ。こいつは本気で、俺とこの部屋で過ごすこと以外望んでいないのだろう。それを思うと悲しいような苦しいような気持ちで胸が一杯になる。そんな未来のない世界が本当に幸せだろうか。でも仮に好きだと言っても、外に出たときのことを口にしても、それでも彼は信じないに違いない。

 

「ここに俺以外の男がいたら、誰のものでも咥えるんだろうな」

 

 額にわずかに汗を浮かべて、ぼそりと仁田見が言った。それはほとんど独り言みたいなものだった。

 

「……俺、竹本と付き合ってるんだ」

 

 俺はとっさに口にしていた。仁田見の指が一瞬止まる。俺はそれを見逃さなかった。

 

「だから、早く外に出たいんだよ」

 

 俺はじっと、仁田見の目を見て言った。真剣に聞こえるよう、少しゆっくりした声で。

 

「早いとこ会って、ほんとはあいつとやりてぇんだよ」

「……どうせそれも嘘だろ?」

 

 仁田見は俺の中から指を引き抜く。その声は動揺しているように聞こえた。

 半分くらいは賭けだった。こんなことを言ったら、ますます彼は意固地になるかもしれなない。この部屋にいる数日で、縮まったと思った距離も無に帰すかもしれない。

 俺はもうわからなかった。部屋から出たいからなのか。この体の熱をどうにかしたいからなのか。仁田見だから欲しいのか。

 だけど賭けた。最初から仁田見はやたらと、竹本や鈴木を意識していた。二人きりの世界なら理性が保てても、他の誰かのことを考えたら冷静ではいられなくなるかもしれないと思ったのだ。

 

「そうじゃなかったらこんなにすぐ、男としようなんて気になるわけないだろ?  竹本は頼りがいがあって、仁田見みたいに頑固じゃないし……そう、お前なんかと違ってセックスもいい。お前のより、ちょっとでかいし」

 

 固く熱い物が押し当てられる。俺は、思わず息を飲んでいた。仁田見は少し苦しそうに唇を引き結んで俺を見ていた。

 

「あ……っ」

 

 欲しかった物が深くまで一気に入りこんでくる。その強すぎる刺激に、俺は一瞬で達してしまっていた。

 

「や…っ、待っ、ああ……っ」

 

 信じられなかった。入れられるだけでいってしまうなんて。俺は思わず安堵のような息を吐いていた。中に入っている。その大きさをはっきりと感じると涙が出てくる。

 まるで俺が本当に抱かれたくてたまらなかったみたいだ。

 

「……っ、や、だめ」

 

 だけど仁田見は動きを止めず、固いもので容赦なく俺の奥までをえぐってくる。敏感になった粘膜を擦られて、俺はどうしていいかわからず仁田見にしがみついた。

 

「ああ……っ、あっ」

 

 感じる場所を突き上げられて、自分がばらばらになってしまいそうなくらい、気持ちがよかった。

 熱くて大きなものが、狭い場所を埋め尽くしている。頭の中がそのことだけでいっぱいになる。自分の中が、もっととねだるように彼のものを締め付けている。ひっきりなしにはしたない声が漏れて、止められなかった。

 

「うっ、あ……っ、あ」

 

 でもこの部屋の中なら仁田見以外は誰も聞いていない。どれだけあえいだって。

 激しく腰を打ち付けられて、繋がった場所が熱くてたまらなかった。仁田見は同時に俺の性器を握ってくる。

 

「あ……っ、ん、あ」

 

 仁田見はもう何も言わず、ぎらぎらと光る目で俺を押さえつけて、何度も腰を打ち付けてくる。もっとゆっくりしてくれとか、やめてくれとか、どれだけ言っても無駄だった。

 

「……っや、も、だ、め」

 

 何度も何度も突き上げられて、わけがわからないまま俺は嬌声を上げ続けていた。仁田見がふいにじっと俺を見て、顔を寄せてくる。

 キスをされるのだと思った。でも彼は動かない。じれったくなって、自分から引き寄せて唇を合わせた。

 繋がったままのキスは、段違いに気持ちが良かった。本当に頭がどうにかなってしまいそうだ。

 

「さっきの……っ、嘘だから」

 

 俺は夢中で彼の唇を貪りながら口にする。

 

「付き合ってない、お前のしか欲しくない……」

 

 仁田見は何も答えなかった。くそ、と小さく呟くのだけが聞こえた。

 

「なぁ……っ、やっ、ああっ」

 

 ひときわ強く奥を突かれ、頭が真っ白になる。そのまま俺は意識を手放していた。

 

 ・

 

 気がつくと、俺は自分の部屋に寝ていた。

 何の変哲もない、ワンルームのアパートだ。大学に入ってから一人暮らしを始めた。壁の時計の秒針がちくたくいっている。カーテンを開けると隣の建物が見えた。

 

「夢、だったのか……?」

 

 あまりに長く、リアルだった。だけど確かに、あんな趣味の悪い脱出ゲームなんてあるわけがない。普通に考えたらそうだ。

 

「はは……」

 

 仁田見に犯される感覚はあまりにリアルだった。俺は家の中に帰ってへたり込む。あんな夢を見るなんて、彼女と別れて俺は欲求不満なんだろうか。

 でも男となんて……いや、相手が男だから何だっていうのだろう。

 まだ今でも体の中に、彼のものが残っているような感覚がある。信じられなかった。今までしたどんなセックスより気持ちがよかった。自分がばらばらになってしまうみたいに感じた。あれが俺の願望なのだろうか。

 

 〝すげぇ良かったら、外出てもお前と付き合う〟

 

 俺は自分の体に触れてみる。どこにも痕ひとつないし、ローションや精液が残っていたりはしない。当たり前だ。夢だったのだから。

 

「何だよ……」

 

 確かに仁田見の自分への好意には気づいていた。でも大したことだとは思っていなかった。次にどんな顔をして会ったらいいのか。

 いや、あれは夢だ。頭が混乱している。あまりにもリアルな感覚だったからだ。同じ夢を見るなんてありえないし、あの部屋のことは俺しか知らないはずだ。

 ふいにチャイムが鳴り、俺はびくりとした。

 突然家を訪ねてくるような知り合いは多くない。

 ドアについた小さなスコープを覗くと、さっきまで夢の中で一緒にいた男がうつっていた。

 

「な……んで」

 

 かあっと身体が熱くなる。俺はどうしてしまったのだろう。

 自らねだって仁田見に抱かれた。いや、あれは夢だったのだから、事実じゃない。俺は、抱かれてなんていない。あれは夢だ。いくらリアルだったとしても。

 男の表情は小さくてよく見えない。

 俺は知らず知らずのうちに、ごくりと唾を飲んでいた。

 そして、ゆっくりとその部屋のドアを開けた。