「今日、行ける奴らで飲みに行くんだけどどう?」

「あ、すみません用事があって」

 

 彼女と別れたことは、それなりに広く知られている。鞠子と俺は、理想のカップルだなんて言われていた。それが破局したとなったら、噂になるのは当然だ。

 俺は、鞠子と別れてもまだ、彼女の住んでいたアパートに通い続けている。

 会社からは電車で二十分ほど。悪くない距離だ。

 鞠子の部屋は、まだ空き部屋のようだった。清掃などに時間がかかっているのかもしれない。だが、壁が薄いことは知っているので、誰もいないと思うと何となく落ち着く。

 

「どうぞ。今日はぶり大根すよ」

 

 下田代は俺に対し、ただ食事を振る舞い続けた。

 改めて部屋を見渡す。ものは少ないが、パソコンもスマートフォンも最新の機種だ。大学院に進むとも言っていたし、エリートと言っていいのではないだろうか。

 

「研究室、やっぱり大変なのか?」

「うちんとこはまだマシな教授なんで、家帰れますけどね。ブラックなとこ入ると人生終わりますよ」

 

 まだ二十歳そこそこだろう彼が人生を語るのは、何となく微笑ましい。

 

「大変なんだな」

「会社員の方が大変じゃないすか? 好きでやってる勉強ですし」

「何の勉強をしてるんだ?」

「数理物理、って言ってもわかんないかもしれないすけど、起こる現象を数学的に解明する学問です」

「へぇ……」

 

 確かにさっぱりわからない。だが、普段のビジネスとはまるで違う分野の話は、気が紛れて悪くなかった。

 それに、ものの少なく整えられた彼の部屋は居心地がいい。

 食事もおいしかった。

 だけどそのために部屋に行っているわけじゃない。それは彼もわかっているはずだった。

 

「……しないのか?」

「何をです?」

「何でもない」

 

 俺からは何も言えなかった。言えるわけがない。

 ……あんな、思い返しても言葉にできないようなこと。あの日以来、俺は彼と連絡を取り合って、何度も家を訪れている。だが酒を飲んだり食事をしたりするだけで、それ以上のことは何もなかった。

 下田代は、縄を取り出さない。忙しそうに勉強をしている。

 師匠がどうこう、と言っていたような気がする。つまり彼は、外で何かそういうアルバイトでもしているのだろうか。誰かに手ほどきを受けて。

 今もそういう活動をしているのか。

 下田代のことは、相変わらずよくわからなかった。正直なところめちゃくちゃ気になるが、俺からは聞けなかった。

 

 ・

 

「彼女と別れたんだろ、古津。じゃあ合コン行こうぜ! 大丈夫、女は星の数ほどいる!」

 

 わかりやすい誘いだった。合コンはいい。そこに来る男女は恋人を求めていて、そして意欲がある。

 俺もやぶさかではなかったから、二つ返事で参加した。

 

「古津はさ、彼女に振られたばっかなんだよ」

「えー、そうなんですか?」

「振られたっていうか、円満に別れたんだよ」

「円満なんてありますー? 浮気じゃないんですか?」

 

 俺はイラッとしてしまった気持ちを押し隠す。

 鞠子が本当に浮気をしていたのかどうか、俺は確かめなかった。もうどうでもよくなっていたからでもある。

 合コンのテーブルについた男女を眺めながら思う。俺はこういう、わかりやすい世界の住人だ。たまたま鞠子に縛ることを提案したのだって、ちょっとした刺激を求めてのつもりだった。元から俺は、特に緊縛にもSMにも興味はない。

 

「じゃあ、週末とかは何してるんですか?」

「ドラマ見たりかな……あとはたまに走ったり」

 

 隣りに座った女の子と、当たり障りのない話を繰り返す。

 緊縛は、俺でも知っているくらいだから、それほど特殊な行為でもないのかもしれない。もしかしたら目の前の彼女だって、そういう趣味があるかもしれない。

 それどころかもっとすごいことをしているかもしれないのだ。

 考え始めると、その彼女のことがちょっといいなと思えてくる。我ながら現金なものだった。

 

「じゃあ今度、その映画行きましょうよ」

 

 いつの間にかドラマからその映画版の話になり、すっかりお膳立てが整えられていた。ぜひ、と言って俺は彼女と連絡先を交換する。

 これでいい、と思う。

 そもそも鞠子の浮気が問題だったのだ。あれから俺の人生は少し狂った。でも、まだ立て直せる。

 酔った俺は気がつくと、下田代のアパートの最寄り駅で降りていた。

 

「何やってんだ……俺は」

 

 今日はありがとうございました、という女性からのメッセージを携帯は受信している。でも、返事をする気にはなれなかった。

 彼女のことを思い返す。縛っても、きっとマシュマロをぎゅっと締め付けるようなもので、ふわふわ逃れてしまいそうだ。変な空想に引きずられながら、俺は駅からの道を歩く。

 別に彼女を縛る想像をしても、俺はまったく興奮しなかった。

 このままだと気持ちの持っていき場がない。

 

「もう一回、確かめりゃいいんだ、もう一回」

 

 別に、構えなくたっていいはずだ。俺だって鞠子に言った。

 ちょっと試しに、と。別に俺は人生の総てを変えようというわけじゃない。ほんのちょっと、気になっているだけだ。

 けりをつけないと、新しい恋愛にも進めない。そう、俺はちゃんとしたいのだ。それだけのことだ。

 そう思って緊張しながら歩いた。

 下田代の部屋についたとして、俺はチャイムを押せるだろうか。そう不安に思っていたのに、下田代はアパートの下に立っていた。一人じゃない。

 下田代が話している相手は、金髪の若い男だった。スーツを着ていて、ホストにしか見えない。耳にはいくつものピアスが並んでいた。

 

「あ、古津さん。今日、みそ煮込みうどんすよ」

 

 俺は帰ろうかと思ったけれど、彼らに見つかってすでにタイミングを逸してしまっていた。

 合コンの席で一応食事はしたのだが、まるで美味しくはなかった。今日は、行くと伝えていなかったのにどうして、用意されているのだろう。

 

「部屋行っててください」

「わかった」

 

 みそ煮込みうどんを用意されているというのに、このまま帰るのは変だ。迷っていたところ、ホストのような男が言った。

 

「あ、この人、新しいペット?」

「黙れクソ」

 

 下田代は口汚く言って、男を蹴飛ばす。

 

「へー、普通のリーマンじゃん。好み変わった?」

 

 男は俺のことをじろじろと無遠慮に眺め回す。俺はいたたまれなくて、消えてしまいたくなった。

 

「古津さん、気にしないで。部屋入っててください。てめぇは黙れ永眠しろ」

 

 下田代は俺に鍵を投げてくる。俺は反射的にキャッチしてしまった。

 

「だってさー……、……じゃん? ……」

 

 下田代と男は、親しげな様子で言葉を交わしている。彼らは声を潜めてしまったので、内容までは聞こえなかった。

 だが、下田代と男が親しい間柄で……男も下田代の趣向を知っているということはわかる。眺め回した無遠慮な男の目は、今日、俺が合コンで女の子を見ていた目と同じだったかもしれない。

 

 ――縛ったらどんな風になるんだろう。

 

 俺は本気で逃げ出したかった。だが、もう部屋に入りかけたところで、二人のそばを突っ切って帰るのも憚られる。

 みそ煮込みうどんを食うだけだ。

 俺はそれだけの関係だ。年の離れた友人。男の思っているようなことは何もない。そう自分に言い聞かせて、俺は下田代の部屋に入った。

 

 ・

 

 みそ煮込みうどんはおいしかった。一時期よりは冷え込みはマシになってきたとはいえ、まだ寒い。

 飲んだ後の体にもちょうどしみこんでくるような味だった。

 

「どういうことなんだよ」

 

 だがさすがに、何も聞かずにいるわけにはいかなかった。

 

「何がすか?」

 

 下田代は平然と食事をしている。もう遅いのに、まだ彼も食べていなかったらしい。

 

「ペットとか……! 俺は飯食わせてもらってるだけだからな」

 

 そもそも社会人が、大学生に飯を作ってもらっているのはおかしいのかもしれないが、それはそれだ。いらないと言われたが、一応材料代+αくらいの金は押しつけている。

 下田代は多く作りがちだし、誰かに食事を食べて欲しいとも言っていた。

 

「そういうのを何ていうか知ってますか? 餌付けですよ」

 

 俺は思わずテーブルを叩く。みそ煮込みうどんの汁がだいぶ減っていてよかった。

 

「こわ」

 

 まったく怖がっていない顔で下田代は言う。

 

「人をバカにするのもいい加減にしろ」

「気にしてるんですか? ペットっていうの」

 

 正確に言えば、それだけではない。ペットという部分ももちろんだが、「新しい」という部分も気になる。

 それはつまり、「古い」「昔の」ペットもいたということだ。

 こんな風に彼の料理に餌付けされて、それ以上のこともされていた男が……いや女の可能性もあるが……いたのだろう。そう思うとぐらぐら腹の中が苛立ちと恥ずかしさで煮えてくる。

 もちろん、下田代は否定するだろうと思った。

 自分たちにあるのは友情だ。ペットなんかじゃない。だが、彼は真逆のことを口にした。

 

「俺は古津さん飼いたいんすけど、ペットじゃダメなんすか?」

「当たり前だろ……!」

 

 この部屋では俺の常識が通用しないのだろうか。飼いたい、なんて初めて言われた。暢気に食事をしている場合ではないのかもしれない。

 俺は残りのみそ煮込みうどんを喉に流し込む。

 

「そんなに焦ると喉に詰まらせますよ」

「帰る」

 

 俺は脱いで放っていた上着を手に取る。

 

「タダ飯食いに来たんすか?」

「金なら払う、いくらだ」

 

 俺は財布を取り出した。一万円でも捨てていってやろうと思ったのに、こんなときに限って千円札しか入っていない。

 格好がつかないけれど仕方がなかった。俺は三千円をテーブルに置く。

 

「じゃあどういう形がいいんすか? 恋人? 彼氏?」

 

 思いのほか真剣な下田代の目に捕まって、俺は言葉に詰まった。

 

「前にも、誰かを弄んでたんだろ」

 

 流されてはいけない。前のペットというやつもいたことは確実なのだ。胸の中がむかむかして、気持ちの持って行き場がない。

 

「え、弄ばれてるんすか?」

 

 殴ってやりたくなった。でも俺は何とかその気持ちを押しとどめる。

 

「あなただって前に彼女と付き合ってたでしょ」

「そういう問題じゃ……」

「ああ、こう言って欲しいんすか、あんたが初めてだ、最初から最後まで、ずうっと好き、私たちの愛は永遠よ」

 

 表情を変えることもなく、さらりと下田代は言った。

 悔しくて涙がにじんでくる。もう帰ろう、と思った。関わったこと自体が間違いだったのだ。十も年下の子どもから、こんな風にバカにされるなんてありえない。

 

「そんなに縛られたいなら、早く言えばいいのに」

 

 背中を向けた俺に、下田代ぼそりと言った。

 

「なんで俺が……!」

 

 怒りでかっとなって、俺はつい振り向いてしまう。

 

「もう一回、縛られたいって思ってたんですよね」

 

 下田代はむしろ、優しげにさえ見える笑みを浮かべていた。だめだ、と思う。

 俺はこのままきびすを返して家に帰るのだ。これ以上ここにいたらだめだ。

 

「ちが……俺は……」

 

 なのに足が動かない。

 

「俺、信用できるのは『永遠よ』みたいな言葉じゃなくて、行動だけだと思うんすよ」

 

 そう言って、下田代はベッドの下から段ボール箱を引っ張り出す。その中に入っていたのは、赤い麻縄だった。

 普通に引っ越しなどに使うものではないと、明らかにわかる。

 段ボール箱の中にはまだ他にもものが入っていた。映像でしか見たことのないような、赤いろうそく。たくさん穴の空いたボールギグ。

 

「俺はわざわざあんたが隣の部屋に来るってわかってたから、半年前からここ借りて、家賃も払ってたんすよ。それって十分、愛じゃないすか?」

「何を言って……」

「俺もね、あんたの言葉じゃなくて、行動を信じる。文句を言いながらも俺の部屋に来る行動を」

 

 俺は思わず後ずさった。ドアまではあと数メートルだ。

 そう、行動だ。俺は行動しないといけない。靴を履いて鍵をあけて、外に出る。すべきことは明らかだ。

 なのに俺は動けない。明らかに尋常じゃない行為を思わせるグッズが恐ろしいのに、目をそらすことができない。

 

「俺、これでも我慢したんすよ」

 

 下田代が近づいてくる。彼は縄を、俺の面前に差し出す。

 

「ちゃんと柔らかくした縄なんで、肌は傷つけないですよ。触ってみますか?」

 

 下田代は俺の頬をぺちと縄でたたく。縄は確かにとげとげしたところがなく、滑らかだった。

 

「服、脱いで下さい」

 

 俺は何の行動をすべきなのか。腰が抜けそうだった。下田代は俺の耳元で囁いた。

 

「行動ですよ、古津さん」

 

 ・

 

 この間は、シャツの上から縛られた。だが、今回は自分で裸になるように言われた。

 

「し、下着はこのままでいいだろ」

「脱いだ方がきれいですよ」

 

 だがそんな言葉に惑わされて全裸になる気にはさすがになれない。俺がどうしてもと下着に手をかけて死守する構えを見せると、下田代はため息をついたけれど、それ以上のことはしようとはしなかった。

 

「何か運動してたんすか?」

「昔、バスケを……」

「へぇ、まだ結構筋肉ありますね」

 

 下田代の手が、見分するように俺の腹筋に触れている。

 

「とりあえず、わかりやすいし古津さんも興奮しやすいと思うんで、亀甲縛りでいいですよね」

 

 赤い麻縄の先は、まるで首を吊るためみたいに丸くわっかになっている。俺はやすやすと、その輪の中に首を入れられる。

 このままぐいと引っ張られたら殺される。そんな恐怖感さえ、俺の興奮を高めていく。

 

「どこで、習ったんだ……こんなの」

 

 下田代の手つきには危なげがない。明らかに慣れていた。「新しいペット」という言葉がまた頭の中で明滅する。俺は年下の男に弄ばれて捨てられるのかもしれない。

 恐ろしいのに、でも俺の興奮は引いていかない。

 滑らかな縄が肌を滑り、性感が高まっていくのを感じた。

 

「女王様からですよ、はい、通しますから」

 

 首から伸びたロープが、又の間を通される。布越しにだけれど性器にロープが触れて、俺はびくりと反応をしてしまう。

 そのままロープを背の方に引っ張られ、ぎゅっと首の後ろがきつくなる。

 

「……っ」

 

 そのまま背に回ったロープが胸に伸ばされ、みるみるうちに俺の胸にはロープで菱の形ができあがる。

 赤いロープはまるで両の乳首を強調するかのようで、女のようにふくよかな胸でもないのに、急に恥ずかしくなってくる。

 そんな俺の反応に気づいたのかどうなのか、下田代が俺の乳首に触れる。

 

「んっ……」

「隣の部屋の人としてたときは、胸とか触ってもらってました?」

「何を、言って……」

 

 そんなことさせたことはない。男の胸など何の意味もないと思っていた。

 

「かわいい乳首ですね」

 

 ちりちりと胸の先を刺激され続けると、下半身が苦しくなってくる。

 

「尖ってきた」

 

 赤い縄に囲まれて、いつもは存在を意識したこともなかった胸の先が、急に目立って感じられる。

 

「んん……っ」

 

 下田代はそのまま、俺の両腕を後ろで拘束し、きれいに俺を縛っていった。股の間に通された縄が食い込んで、変な感じがする。

 

「ほら、やっぱり下も脱いだほうが良かったんじゃないですか?」

 

 下着越しにも、俺の性器はすっかり興奮して形を変えているのがわかる。

 ぎゅっと縄が強く体に食い込んでくる。身動きが取れない。いや、本当は足は動くのだから、このまま外に行くことだってできる。でも俺の足は歩くことを忘れたみたいに、もう動かない。

 後ろで縛られた腕は動かそうとするたびに、軋むようだった。

 でも痛いわけじゃない。がちがちに縛られて動けないことに恐怖はある。でも、なぜだろう。下田代はそんなにひどいことはしないだろうと思ってしまう。

 

「いいですね、赤。やっぱり似合うな」

「……っ、あ」

 

 わずかに身じろぎするたびに縄は食い込んでくるようで苦しかった。

 いっそのこと性器を直接擦りたいのに、手は縛られてそんなこともできない。下半身に通されたロープで性器を刺激できないかと思って、体が自然と揺れてしまう。

 

「胸、感じてるじゃないですか」

「あ…っ、ん」

 

 尖った乳首の先を弾かれて、思わず嬌声が漏れた。

 下田代の目は普段と違ってらんらんと輝いて、息も荒かった。彼は自分の服を脱いだりはしていない。俺は初めて、この間も彼は自分のものを処理したり、何もしなかったことに気づく。

 俺が以前見たビデオでは違った。ゲイ向けのビデオで、縛られた男はそのまま男によって犯されていた。俺は今更、自分の置かれている状況のやばさに改めて気づく。

 

「大丈夫、いきなり犯したりしませんよ」

 

 俺の気持ちを読み取ったかのように下田代は言う。

 だが、段ボール箱を引き寄せると、その中に入っていたものを取り出す。

 

「ちゃんと新品ですよ」

 

 それは形からして、どうやら下半身に入れる性具のようだった。俺は首を振る。でも、縛られた状態で何ができるわけもない。

 

「いきなりは、犯したりはしませんから、大丈夫です」

 

 もう一度下田代は繰り返す。でも俺はその言葉の奥にある意味に気づく。

 いきなりじゃなくて、ゆっくり開発してから。彼が言っているのはそういうことだ。

 

「や、め……、俺はそんなことは」

「大丈夫、気持ちいいですよ」

 

 頬を上気させた下田代は、俺の言葉なんて聞いていないに決まっていた。

 

「ほら、これは最初のだから小さいですし」

 

 最初の、ということは次もあるということだ。でこぼこした形の、シリコンのようなそれを見て俺はもう一度首を振った。

 

「あれ、小さいのじゃなくて大きくて熱いのが欲しいの、とかそういうことすか?」

 

 俺は一層大きく首を振る。俺はゲイになったわけじゃない。

 縛られることには興味があった。それは事実だ。こうなったら認めざるをえない。でも、ここまででいいのだ。

 

「大丈夫。最初にいきなり俺が縛らせてくれって言っても、あなたは嫌だってきっと言いましたよね。それと同じですよ。体験してみたら、もうちょっと、もうちょっとだけ、って思いますから」

 

 下田代のささやきは悪魔のように聞こえる。

 

「試してみるだけっすから、ね?」

 

 俺は体をよじろうとしたけれど、下田代にゆうゆうと阻まれた。身動きしようと思えば思うほど、縄は食い込んでくるようだった。体が軋む。隅から隅まで下田代に支配されているような気がする。

 なのに恐ろしいことに、俺の性器はまったく萎えていない。

 

「わか…っ、わかったから、いかせてくれ……」

 

 自分では性器に触れる自由もない。もう立ち上がって痛いほどなのに、どうにもできない。

 さっきから下田代は胸を刺激するばかりで、下半身には触れてもくれないのだ。

 

「下も脱いだらよかったんですよ。そうしたら、この縄と縄の間にこれを入れて、ぐっと締め付けてあげられたのに」

 

 下田代はうっとりした顔で言う。そんなことをするのは恐ろしい。でも想像してしまう。直接性器に縄がこすれる様を。

 

「触ってほしいんですよね?」

 

 下着を無理やりずらすような形で、性器が露出させられる。下田代の手に触れられると、もう俺はすぐにでもいきたくて、そればかりになって、もうたまらなかった。

 

「もうちょっと、我慢してくださいね」

 

 甘い声で下田代は囁くけれど、していることは全然甘くない。

 ローションを付けたさっきの玩具が、俺の奥に入ってくる。もちろん彼の言ったとおり、それほど大きいものじゃない。だから入ることには入ったけれど、気持ちが悪くて変な感じだった。

 下田代は俺の乳首をぺろと舐めたかと思うと、歯の先で軽く甘噛みした。

 

「い……っ」

 

 その衝撃のせいなのか、玩具がより奥まで入ってきたような気がする。

 怖い。変な感じだ。じわりと腰のあたりが重い。早くいきたい。そう思うのに与えられるのは胸や奥への刺激ばかりで、全然思うようにならない。

 

「古津さんは素質、ありますよ。やっぱり、俺の見込んだ通りだな」

「や……っ」

 

 性器への刺激が与えられない代わりとばかりに、俺の体は胸や奥への刺激を貪欲に求め始める。執拗に、縛られて無防備になった胸を下田代はなぶる。

 奥に入れられたものが、前後に動かされる。

 俺は初めて、下田代のズボンの前がすっかり張っていることに気づく。そりゃあそうだろう。彼だって興奮しているのは、顔を見るだけでも明らかだった。

 

「縛られるの、好きですか?」

「……っ、ちが」

「好きですよね」

 

 下田代の手が縄に触れ、それをまた小さく引っ張ると、体中が連動したみたいに軋む。食い込んでくる。柔らかい奥の肉を同時に玩具でえぐられる。

 性器に触れたい。擦ってほしい。でもそれが敵わなくて、俺は泣きそうになってくる。

 どうしたって縛られた俺には何もできない。下田代に頼るしかないのだ。

 

「…っ、好き、だから……もう、いかせて」

 

 下田代に頼る以外、俺には方法がない。

 下田代は俺の顎を取ると、キスをしてきた。俺の口は入ってくる舌に蹂躙されたままになる。

 

「ん……っ」

 

 ただのキスが、こんなに気持ちがいいなんて思わなかった。俺は夢中になって、下田代の舌を吸う。縛られた状態で、俺が能動的にできるのはそれくらいだった。

 奥に入ったものが動かされて、内壁の奥まった場所にあたると変な感じがする。

 

「あ……ぅ、やっ」

 

 気持ちがいいのと、もどかしいのとで涙が浮かんでくる。俺は必死に、下田代とキスを繰り返した。腰が自然と揺れてしまう。もどかしくて苦しい。

 

「やっぱり、下着は脱いだ方がよかったですよね?」

 

 俺は言われるまま、無我夢中で頷いた。

 

「あ…っ、んっ」

「いかせてあげてもいいですけど、今度は、俺のことも気持ちよくさせてくれてもらえますか?」

 

 俺は涙でにじんだ目で下田代を見上げる。聞きたいことも、文句も山ほどあるはずだった。

 彼の言う言葉が意味する行為が、わからなかったわけでもない。

 でも俺にはもう、頷く以外の方法がなかった。

 

「する……っ、するから……早く」

「良い子ですね」

「や、ん…っ、――っ」

 

 俺は軽くしごかれて、あっという間に達していた。確かに下着は脱いだ方がよかった。縄とともに、ベトベトになってしまった。

 俺はぐったりとして、下田代にもたれかかる。彼は汚れてない方の手で、俺の頭をぽんぽんと叩いた。

 俺の方が十は年上なのに。何をやっているんだろう。

 全身がまだ熱くて、いったのに性感がなかなか引いていかない。あのホストみたいな男の言葉を思い出さなかったら、「もっと」と恥も外聞もなく縋っていたかもしれない。

 でも、俺は下田代のペットになったわけじゃない。

 

「早く、取れよ」

 

 奥に入れられた玩具は、俺一人では外すこともできない。

 

「もうちょっと、次は広げないといけないですね」

「次なんてない」

「言ったじゃないですか、今すぐ大きくて熱いのが欲しいって」

「言ってない……!」

 

 俺はまだ縄で縛られたままの姿だ。下田代はちょっと不満そうな顔で俺を見ると、急に俺の乳首を舐めた。

 

「な……っ」

「俺は、あなたのこと痛みで苦しめたり、写真撮って脅したりはしないんですよ」

 

 彼は自分が射精したわけではないからか、まだ目にはぎらぎらした光があって、正直怖かった。

 確かにそういう風にすれば簡単だ。今だって俺は無防備で、写真を撮られても抗えない。改めてそのことを考えるとぞっとする。

 でも、下田代は彼が口にした通り、携帯を取り出すことはなかった。

 

「なんでだかわかりますか?」

 

 やっぱり俺には、下田代のことはまるでわからない。

 

「知らな……」

「じゃあ、次までの宿題っすね」

 

 下田代はかつて、隣の部屋での俺と元彼女との情事を録音していた。そんなやつのことを信じられるはずがない。

 それなのに俺は彼に縛らせている。これ以上ないくらい無防備な状態だ。財布を取られても、何をされても抵抗できない。

 俺は本当に、どうかしている。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、下田代は微笑んだ。

 

「行動ですよ? 見せて下さいね、古津さん」