少し長めのプロローグ(要一の話)

 

 

 そこは、誰にも邪魔されない秘密の場所だった。

「ん……っ」

 要一は、自分の下半身に手を伸ばす。

 古い、塔の中だ。昔は牧畜をしていた時期もあって、藁などを積んでいたらしいが今はもう空っぽだ。

ハシゴを登った先の小さな部屋が、要一の秘密の場所だった。

 誰も近づかないことは知っていた。伝説だか何だか知らないが、化物が出るという。夜な夜な人間の魂を求めて、化物は鳴いているとのことだった。

 そんなこと、どうだってよかった。それに要一は音の正体を知っている。

 むしろ、化物が出るというなら出たらいい。

 ままならないのは、化物よりも人間だ。

「あ…、っ」

 用意した潤滑剤で、自分の奥を探る。

 こんなこと、誰にも見られたくない。狭い田舎町だ。もし同性愛の傾向があると知られたら、一巻の終わりだった。

 結婚も決まった。要一の家はこの辺りの地主だ。

 人から羨まれるような境遇だった。

 要一は雑誌のページをめくりながら、自分の胸や、奥をいじる。だが、満たされたことはない。

「っ……あ」

 胸で感じるようになったのは最近だ。自分でずっといじっていたからだろう。だんだん敏感になっていくそこが怖くもあったが、やめられなかった。

 雑誌の中では、屈強な男たちが絡み合っている。女性としたことはある。だけど男の肌は知らない。こんな風に押さえつけられたら、どれほど気持ちがいいだろう。

 ずっと田舎で生きてきた。

 都会には同好の人間が集まる場所もあるらしいが、行く機会もない。これからもずっとそうだろう。

「んんっ! ぁあっ」

 要一はどんどん指の動きを激しくしていき、ほとんど達しそうになって息をつく。

 誰でもいい。化物だっていい。

「誰か……っ」

 自分を求めてくれるのなら。

 円山の嫡男としてでなく、要一自身を。

「え……?」

 誰かの手が触れている。その刺激は信じられないくらい強かった。

「あぁ……ぅあっ」

 ぎゅっと性器を握られる。

「や……っ、誰……!」

 小さな村だ。知り合いなら誰だかすぐにわかるはずだった。

 下手をしたらもう終わりだ。

「誰だ……!」

 振り向いた目には、驚くほど美貌の男がうつっていた。灰色がかった長い髪は艷やかで、瞳は青っぽく光っている。

 一瞬、見とれた。

 誰なのかとか、恥ずかしいところを見られたとか、そんなことは頭の中から吹き飛んでいた。芝居の中の人物みたいだった。

 これほどの美形は、見たことがない。村一番の美女と言われる女とくらべても、桁違いだった。

「な……あんた、な」

 だが男は容赦なく要一の下半身に触れてくる。女性とする時に、おざなりに触れられることはあっても、そんな風に強く刺激されるのは初めてで、要一はあられもない声をもらした。

「んっ」

 これほどの美貌の男が、村にいるわけがない。旅行者だろうか。だが、こんな村に立ち寄る理由が何かあるのか。

 そもそも、なぜここにいて……こんなことをしているのか。

「や…っ、め」

 男の顔立ちは、あまりにも人間離れしている。

 触られている性器はだらだらと先走りをこぼしていた。頭がおかしくなると思った。

 男の手は的確に、要一の気持ちがいい部分を刺激する。

「……あっ、ああ」

 気がつくとあられもなく、光央は甘い声をもらしていた。

 そのまま達して、男の手を汚す。だけど要一が息を付く間もないまま、男はその濡れた手を身体の奥に伸ばしてきた。

 何をされているのかわからなかった。だけど、まるで抵抗ができない。

 これは、幻だろうか。

 欲求不満の自分が生み出した、都合のいい幻想なのか。

「あ……っ」

 抵抗感はあった。なのに、達したばかりの要一の身体は、彼の指を受け入れた。

 狭い場所を男の手で開かれる。力が抜けていく。何をされているのか、わけがわからなかった。

 妄想の中で、思い描いたことはある。

 女性を組み敷くのではなく、誰かに組み敷かれたら。圧倒的な力で求められたら、どれだけ心地いいだろうかと。だが要一は家の唯一の跡取りだし、こんな田舎で自由なことはできない。

 この塔の中で性欲を発散させるのが、唯一の楽しみだった。

 ――あるいは、化物か。

 男があまりに美形なことも、そんな男がこれほどの田舎にいるわけがないことも、それで説明がつく。

 要一が結婚して子供を作らないと家は途絶えてしまう。土地も家も先祖代々が大事にしてきたものがなくなる。この塔だってそうだ。人手に渡ったらきっと取り壊される。

「……っ、お前、だれ」

 途切れ途切れに、かろうじて言葉を発する。だが男は聞こえているのかいないのか、まるで答えなかった。

 ただ熱心に要一の体を探り続ける。男の手の動きは的確で、要一はやはり、ろくに喋れなかった。こんなところを見られたら、もう村にはいられない。

 でも今は、二人きりだ。

「…っ、ひっ」 

 固いものが、奥深くに押し当てられる。ほぐされたとはいっても狭い場所に、だけど男の猛ったものが容赦なく入り込んでくる。

「ああ……っ」

 痛みがないわけではなかった。だけどそれよりも、より安堵を感じていた。

 男の動きは時に激しく、だけど的確で優しかった。どろどろに身体が溶けていくのがわかる。もう疑問も何も声にすることはできなくて、ただ喘ぐだけだった。

「んんっ! あっ」

 ゆるく浅く、男はじらすかのように動く。

「……っぁ」

 奥まで突かれたら辛いのはわかっているのに、いっそ思い切り貫いてほしいと思ってしまう。熱いもので広げられていく。征服されていく。

「ぁあっ……」

 家のためにこれまでずっと我慢してきた。でも本当はずっと誰かにこうされたかった。

 思い切り押さえつけられて、 強引に支配されてしまいたかった。

「や、っあ」

 口から出る声はまるで自分のものではないみたいだった。

 狭い場所を強引に押し広げられ、擦り上げられる快楽は想像以上だった。指で自分でしていたときとは比べ物にならない。

「あっ……んあっ」

 この男は誰なのだろう。

 改めて自分を組み敷いている男の顔を涙で滲んだ目で見る。

 少し青みがかった黒の目。ほっそりとした輪郭。女々しさはなく男らしいけれど、村の男みたいな泥臭さはない。髪は灰色というよりも、銀にも見える。

 こんな人間がどこにいるのだろう。

 ――まるで、人ではないみたいだ。

「っあ、……んっ、あ」

 逃げを打とうとする身体を押さえつけるように、男は蹂躙していく。

 一番やわらかいところを、しつこく刺激する。要一はただ、快楽をやり過ごすために喘いだ。

「っ……っあぁ……」

 声を出していないと、気が狂いそうだった。

「あっ、あ…」

 身体の奥が熱い。だんだん視界がぼんやりしてくる。限界が近かった。

 頭がぐらぐらと煮えているかのようだった。どこもかしこも熱い。

 要一は必死に、男の背に縋り付く。名前も知らない相手であることに、抵抗を感じるような理性はもう残っていなかった。

「ああっ、あ……」

 一際強く穿たれて、要一はそのまま達していた。

 信じられなかった。男に貫かれて、自分が射精してしまうなんて。

 中に入っている男を強く噛み締めてしまったのか、わずかに苦しげに声をもらした。それは初めて彼が口にした、人間らしい言葉だった。

 遅れて最奥に男のものが吐き出されるのがわかった。

「あ……」

 今度こそ本当に、これまでの自分ではなくなってしまったような気がした。

 急速に身体が弛緩していく。だるくて、指一本動かしたくなかった。

 それで終わるのかと思った。

 だが男は要一の中から性器を抜こうとしない。

「も…う、 やめ……」

 途切れ途切れに口にした瞬間だった。いつの間にか硬さを取り戻したものに、深くまで貫かれる。いったばかりの敏感な内部を刺激されるのは、痛いほどの快楽だった。

「ぁあ、……っあ、あ」

 今度こそ本当に、おかしくなってしまったと思った。

 身体のどこもかしこもが気持ちよくて、震えが走るほどだった。目の前がちかちかする。

「やっと見つけた」

 男がやっと発した言葉はそれだけだった。

 要一にはもう、答えることさえできなかった。

 

 ・

 

 頭上から降り注ぐ、夕方の日差しで目が覚めた。

 ここはどこだろう。

 ぼんやりと目が覚めてきて思い出す。何があったのかを。

 ――夢?

 だけど夢ではなかった証拠に、目の前には男がまだいた。

 消えてしまっていなかった。

 その夢のような美貌はやはりそのままだ。現実とは思えない。だけどはっきりと目の前にいる。

 全身がだるかった。汚れた服が、何が起きたのかを物語っている。

「あんた……」

 何かが尋ねたらいいのか、まるでわからなかった。

 みっともない姿を晒した。あんなのは初めてだった。

「どこから来た?」

 言葉は通じるようだった。少なくても外国ではない。

 男の目の色の黒さもそれを物語っている。

「……遠く」

 男はぼそりと言った。低く響きのいい声だった。

「遠く?」

「お前の知らないところだ」

  突き放すような言い方だった。さっきの命じるような口調といい、人に命令することに慣れている様子だ。

「じゃあどうしてこんなとこに来た」

 少しムッとして言い返す。

「呼んでいたから」

「呼んでない」

「お前じゃない」

 男は頭上を見上げる。そこに何かあるのかと思った。だが、ただ夕暮れ時の空が広がっているばかりだ。

「何?」

 言葉は通じるようだが、村の人間ではないせいか、テンポが違って話しにくい。

「これが」

「これ?」

 何を言っているのかまるでわからない。 

 もしかして、頭のネジが外れた人なのだろうか。いや、人かどうかも怪しいが。

「ほら」

 少し待っていると、 確かに何か音が聞こえた。

 うう、という低い唸り声のような音だった。

 要一にとっては聞き慣れたものだ。

 塔の内部を通る空気の流れのせいなのか、風のある日などにはこういう音が聞こえる。動物のうめき声のような、よく響く音だった。

 要一にとっては耳慣れたものだ。

 村の人間も化物の声だなどと言って恐れているらしいが、そんなものじゃない。

 使われていない塔はガタがきていて、風が吹くと鳴るのだ。

 それだけのことだった。

「呼んでいる」

 もしかして、この音のことを言っているのか。

 神秘的に感じていた男の顔を、改めてまじまじと見てしまう。

 もしかして、すごく間抜けな男なんじゃないだろうか。化物の声だと怯える村の子供と同じかそれ以下だ。

「これは単に風の通り道で……」 

 要一は必死に説明しようとする。

「これは、私の嫁だ」

「……は?」

 今度こそ要一は固まった。

「これって」

 男はふざけているわけではなさそうだった。びっくりするほど美しい顔で、平然と続ける。

「この優美なシルエット、遠くまで響く声、理想の伴侶だ」

 要一はしばらく声が出なかった。どこから説明したらいいのかわからない。

「……この塔のこと?」

 男はこくりと頷く。

 石造りの塔だ。どう考えても、結婚はできないだろう。その当たり前のことを、どうやって説明したらいいのか。

「これほど見事な求愛の歌は、聞いたことがない」

 男の口調は真剣そのものだった。

 ふざけているようには見えない。

 神秘的な顔と声で、真面目に言っている。

 どこから話せばわかってもらえるのか。しばらく考えていた要一は、こらえきれなくなって笑い出した。

「あっ、ははは」

 男は気分を害した風でもなく、要一を見ている。何を笑われているのか、まるでわかっていないようだった。

 面白い。男がびっくりするほどの美形で、ふざけているわけでもなさそうだから、なおさらに面白い。

 さっき、男の前であられもない姿を晒してしまったことなど、もう気にならなくなっていた。

「いや、あんた、すごいな」

 本当に、この塔と結婚するつもりなのか。どうやって。夫婦生活は。疑問がいくつも浮かんでくる。

 この塔には意志も命もない。ただ、風が通り抜けてこんな音が出るだけなのに。

「そうか」

 それなのに、この男は真剣なのだ。

 テンポの独特な男だった。偉そうだけれど、無垢にも見える。黙っていればこの世の理でも何でも知っていそうなのに、中身はまるで子どもみたいだ。

 一体、どこから来たのか。

「なんで、俺にあんなことした……?」

 石造りの塔が本命なら、男を抱くなんて必要はないはずだ。

 夢かと思った。まるで、要一の理想みたいな抱き方だったから。本当を言うと、今でも少し疑っている。これは、夢なんじゃないかと。

「内部にいたからだ」

「……塔の中にいたら誰でも襲うのか」

「お前は発情していた」

 かあ、と顔が熱くなるのがわかる。

「求愛をしていた」

「してない」

「これは、求愛の歌だ」

 歌というのは塔がそういう音を立てているだけだ。要一自身が求愛をしているわけじゃない。だけど男の中では、ごっちゃになっているようだった。

 ……確かに、誰かがいたらいいなとは思ったけれど。一人で身体を慰めながら、誰かのことをいつだって想像はしていたけれども。

 まさしく目の前にいるような、こんな美男がいたら、と。

「俺は、単なる権利者だよ」

「権利」

「そう。まぁ、お父さんみたいなもんだ」

 男の外見は、二十代くらいに見えた。

 着ている服も高級そうだ。髪はさっぱりと整えられ、肌には傷ひとつ見当たらない。もしかしたらずっと若いのかもしれない。

 子どもと話すようなつもりで、要一は言葉を選ぶ。

「お前がこの子を好きなのはわかった。だが、すぐに結婚というわけにはいかない」

 狭い村の、変わらない毎日だった。

 恵まれていることはわかっている。このあたりの土地一体は、すべて円山のもので、将来的には要一が継ぐ。

 やりたいことをできるでもなく、全然好みでもない女と結婚する予定だけは決まっている。

 こんな楽しみを、与えてくれた神なのか何者かに、感謝したい気持ちだった。

 何となく、感じていた。

 これは夢ではないかもしれない。

 でもこの男はきっと、人間ではない。

 だけどそんなこと別に構わなかった。

「いつか結婚できるよう、俺が取り計らってやるよ」

「本当か」

 男の顔に、目に見えて嬉しそうな色が浮かぶ。

「だけど、そのためには俺の気晴らしにも付き合ってくれよな」

 灰色の毎日が、少し楽しくなりそうだった。

 まだ風は吹き続いていて、ううと呻くような音が続いている。

 男はどれほどの「遠く」から、この音を聞いて来たのだろう。

 これが、求愛の歌に聞こえるのか。

 ……もしかしたら、それはこの塔で一人自慰をしていた、自分の欲求不満のせいなんじゃないかと思った。この塔がすばらしい音を奏でているならきっと、満たされず通いつめた自分の影響もどこかにあるんじゃないか。

 だけどそんなことを言っても、男には通じないだろう。

 とびきり美形で、だけど子どものような純真な中身をしているらしい、この男には。

「わかった。何でもしよう」

 これほどの快楽と娯楽が他にあるだろうか。

「じゃあ、最初にキスしてくれ」

 さっきの行為の中では、ついぞしなかったことを要一は願う。

 男はさすがに、どういうことかと問い返してくることはなかった。要一の肩に手をかけて、唇を重ねる。男の唇は冷たかった。

 そうして結局、朝方になるまで、お互いの精を絞り尽くすようにその場で絡まり続けた。

 ――神様。

 普段、豊作を祈るよりもずっと真剣な気持ちで、要一は祈る。自分が彼に溺れ、離れられなくなることがもう目に見える気がした。だとしたら、この出会いは僥倖なのか、それとも不運なのか。

 それでも、もう彼を手放すことができるとは思えなかった。

 彼の透き通るような不思議な色の髪に手を伸ばす。塔に恋い焦がれた男は、無防備な顔で目を閉じていた。