「気持ちがいいか?」
指はいつの間にか二本に増やされて、中を愛撫している。
「……や、ちが」
もう嫌で、やめてほしいと思うのと同時にもっとしてほしいと感じてしまう。こんな風にセックスで自分が乱れたことなどなかった。出したら終わりの即物的な行為しかしたことがない。じわじわと弱火であぶられているかのようだった。
どうせ、ここには二人きりだ。どこだかもわからない。もう見栄を張っていても仕方がない。そう思うと、どんどん大胆になって声が大きくなっていってしまう。
「い…っ、いから……」
だがそれでも、恐れるように逃げをうつ身体を、無理矢理引き寄せられた。
「ひっ……、や」
「ここに、挿れるのは嫌か?」
「な……」
三本目の指でぐっと広げられた場所のことを言われているのだとわかって、身体がすくむ。
「だ……」
だめだ、と言いかけた途中で、熱いものがあてがわれ、中に入ってくるのを感じる。
「待っ……」
人に聞いておきながら、返事も聞かないなんてどうかしている。気がつくとぼろぼろと怜は涙をこぼしていた。それほど痛いわけじゃない。でも、自分が自分でなくなってしまうようで、怖かった。
それでなくても、理解しがたいことばかり起こっている。
兄とはうまくいったことなんてなかった。それでも、まさか本物の銃を向けられるような関係になるとは思っていなかった。自分の人生は、何もうまくいっていない気がする。
うまくいかないどころか、マイナスじゃないだろうか。小さい頃に彼を蔵に案内しなかったのは、幼い独占欲からだった。やっていることは規模が違えど、祖父と変わらない。もしあのとき、もっと違う選択をしていたら。
「……っ、俺っ」
何か訴えようとした口を、またキスで塞がれる。彼のキスは巧みだった。舌を絡められ、溺れるように頭がぼうっとしてくる。
「大丈夫だ」
「……っ、あ、でもっ」
ぐいと更に奥にまで彼のものが入ってくる。
完全に深くにまで埋められたとき、一瞬頭が真っ白になった。彼の手が、怜の後頭を撫でている。
「お前の選択があって、だからこそ、今がある」
歪んだ指輪。それでもそれは、怜の指にある。
奥深く、誰も触れたことのない場所に、彼のものが入っている。息が苦しくて、だけど同時に感じたことのない充足感もあった。
怜はとっさに、彼の背を掴む。傷跡が指先に触れた。
「ぁ……あ」
壊される、と思った。壊されたかった。もっと奥にまで突き上げてほしい。気がつくと怜は自ら誘い込むように、腰を振っていた。
口からひっきりなしに嬌声が漏れる。
「ぁあっ……ん、っや…」
敏感な粘膜を擦り上げ、弱い部分を強く突き上げてくる。どろどろと自分の全身が溶け出していってしまうみたいに感じた。
彼はキスや胸への刺激をしながら、怜を追い詰めていく。
ひときわ強く突き上げられて、息が止まった。
「……あっ、あっんんっ」
ぎゅうと自分の内部が彼を締め付けるのがわかる。思い切り搾り取るように内部が収縮して、彼が奥に精を吐き出すのがわかった。避妊具なんてこの部屋にはたぶんないのだろう。内部に吐き出された違和感でぞくぞくする。
どこにも行かないでほしい。その気持ちは確かにわかる。でも、拘束することが彼のためになるとは思えない。
自分が何を望んでいても、それよりも、もっと彼の幸せを祈りたい。
「お前……自由に、なったんだろ?」
怜は荒い息を吐きながら何とか口にする。
「どこにだって、行って、いいんだぞ」
「私は、お前と行く」
怜の左手を再び取って、彼はまた口づけた。
「そのための婚姻なのだから」
それならば、自分もまた、自由で居続けないといけないのだろう。
そして、幸せでないと。
それは、彼だけを自由にして終わらせるより、もしかしたら難しいことなのかもしれなかった。
「そもそも俺……死ぬのか?党の中からは出られる?」
「お前は死なない、しばらくは」
「しばらく」
「四十年か、五十年か、あるいはもっと長くか」
冗談を言われたのか何なのか、判断しかねた。
「……私も」
そう言って彼が笑ったので、たぶん冗談だったのだろう。
「はは……」
安堵していいのか今いち不安なまま、怜は曖昧な笑みを浮かべる。ぎゅうと抱きしめられて、戸惑うやら恥ずかしいやら忙しかった。ちゃんと彼の身体は温かい。肌に触れると、はっきりと彼がここにいることがわかる。
礼はそっと彼の背を抱きしめ返す。たぶん……もう、大丈夫なんだろう。ここがどこでも、何が起きても。愛している、という恥ずかしすぎる囁きは、恥ずかしすぎて真顔では聞けなかった。彼の肩に伏せるようにして、怜は火照った顔を隠す。
そんな大仰な言葉、今まで使ったこともない。
でも、今がそのときなのかもしれない。まだ全然理解は追いついていなくて、心配も不安もあるけれど……でも、胸を満たすこの幸福感を、彼を大事に思う気持ちを、何とか言葉にしたかった。
「俺も」
口にして初めて、さっき彼が言った、無駄なことなどないという言葉が身にしみてわかった気がした。両親の間で引き裂かれたことも、うまくいかなかった小さな頃のことも、兄を慕い、だけど報われなかったことも。一度彼を蔵に入れなかった独占欲も、都会での短絡的な行動も、消し去りたいようなものであっても、それらがあったからこそ今がある。
もう一度、怜は改めて口にした。やっぱり恥ずかしくて、彼の顔は見れなかった。
「うん……俺も」
・
健は、少し離れた場所から塔の崩壊を眺めていた。怜が乗っていた車だ。キーが挿しっぱなしだったので、ありがたく利用させてもらった。
「おー、スペクタクル」
激しい土埃が上がっていた。塔は、足元から自壊するように壊れていた。ダイナマイトを使うような破壊方法は、通常の解体工事ではほとんど行われない。どうやら、弟が業者に無理を言って、塔を壊すために手配していたらしかった。
音も大きいし、いくら呑気な田舎とはいえ近隣住民もじきにやってくるだろう。
自分で手配をした爆薬で殺されるなんて、相変わらず間抜けな弟だ。別段血がつながっているからといって感慨もないが、ぼんやりとその土煙を健は眺めていた。
間近でかち、という音がする。
ズボンの後ろポケットに入れていたはずの拳銃が、なくなっていることに気づいたのはそのときだった。
「健ちゃんさぁ、私が飲む分の甘酒にも、毒入れたんでしょ?」
拳銃を突きつけながら留美子は言う。
「何のことだ?」
「面倒くさいから演技やめて」
留美子は冷たく言う。小さい頃から、さして年の変わらない健にも高圧的な話し方をする女だった。
こちらに戻ってきたとき、すぐに留美子に会った。怜が彼女の家に滞在しているというので、渡りに船だと協力するよう依頼した。
甘酒ひとつですべてが片付くだろうと思っていたわけでもない。でも、そうできたらいいなとは思っていた。
怜も、得体の知れない男も、留美子もいなくなってしまえば、健にとってベストだった。
「お前は飲まないってわかってたよ」
健は両手を上げてみせる。
「嘘ばっかり……!」
留美子は声を震わせる。
留美子にも子供はいない。彼女がいなくなれば、留美子の受け継ぐ叔父たちの土地も健のものになる。辺り一帯がすべてだ。もともと大した価値のある土地ではないが、ちまちま都会で小銭を稼ぐよりはいい。
遺産問題が殺人事件にまで発展するのがよくわかる。銀行強盗などするより、よほど確実だからだ。何が手に入るのかも、どうしたらいいのかも事前にわかる。こんなにローリスクハイリターンな話はそうない。
「あんなの、目印も何もなくて……私も! 殺すつもりだったんでしょう!」
田舎で退屈していた彼女を、弟を嵌める企みに乗せるのは簡単だった。
「その銃、何発撃てるかわかってんのか? もう弾はねぇよ」
「え?」
健は留美子が動揺した隙をついて殴りかかった。奪おうとした銃が弾かれて遠くに滑っていく。
「十七発だよ、バーカ」
彼女が銃なんてまともに扱えないだろうことはわかっていた。
「やめ……っ」
暴力に慣れていない人間はすぐにわかる。留美子もそうだ。馬乗りになって思い切り顔を殴ると、留美子はひっと声を上げてすぐにおとなしくなった。二度、三度と殴ると、そのまま気絶したようで動かなくなる。
「くだらねぇ」
健は唾を土の上に吐き出す。
割のいい案件ではあるが、知り合いと絡まなければいけないのが面倒だ。弟のことは昔から嫌いだった。ぱっとしたところのない、目立たない子供で、一丁前にマネをしてこようとするところが最悪だった。
今頃は、瓦礫に埋もれているだろうか。いくら田舎とはいえ、あれだけ派手にやれば人も集まってくるだろう。じきに警察も来るはずだ。話をしたりしないといけないことを考えると、果てしなく面倒くさい。
タバコを吸いたくなり、健はポケットを探る。だが、見当たらなかった。塔の中で落としてきたのかもしれない。
だとしたら今頃、弟と共に瓦礫にまみれているはずだ。
それと、あの得体のしれない男も。留美子は「人じゃない」なんて言っていたけれど、本気にはしていなかった。
人じゃないなら、撃たれて瀕死になったりしないだろう。
「奇跡なんて起こんねぇんだよなぁ」
小さい頃、何度もっと別の家に生まれたかったと願ったことだろう。物心がついてわかったのは、金がなければ自由はないということだった。恋だの夢だの、世の中の悩みは、金をある程度持っている人間の暇つぶしだ。
タバコが吸いたかった。
「あーくそ」
健はもう一度ポケットの中を探る。そのとき、ぐり、と頭に硬いものが押し付けられた。
「兄貴は昔からモデルガン、好きだったな」
「……お前、それ使えんのか? 本物だぞ?」
「俺もさ、ずっと欲しいなって思ってたから、よく覚えてる」
ちらと横目で見ると、弟は埃にまみれていた。だが、まっすぐに立って健を見据えていた。
「生きててよかったな」
武器と言えるようなものはその銃しかない。健は必死に反撃の方法を考える。
弟は軟弱だ。だが、弱い人間ほど追い詰められるととんでもないことをしたりする。
「兄貴、金は半分でいい。それであんたとはもう縁を切る」
「オーケー」
健はポケットから出した手を挙げる。
ポケットにはタバコはなかったが、ボールペンが一本入っていた。健はすばやくそれを握り、背後の怜に突き立てようとした。
だが、倒れていたのは健の方だった。
「って……」
何が起きたのかわからなかった。地面に強く尻を打ち、健は怜を見上げる。
怜のとなりには、いつの間にか子供が立っていた。
「なんだ、そいつ……」
「兄貴には関係ない」
どこかで見たような面影がある気がする。鼻筋の通った、きれいな顔立ちの少年だった。
何でもいいが、狙うなら武器も持っていない子供なんてうってつけだ。健はボールペンを握り直したが、背後からぐいと首に腕を回される。
「な……」
「怜ちゃん、行って」
気絶していたはずの留美子だった。
「何すんだよ……!」
留美子は口から血を流したままの顔で、思い健の首を締め付けてくる。
怜は少し迷ったように見えたけれど、近づいてきて、留美子に拳銃を渡した。
「おい……!」
子供は見たことのないテレビでも見るように、じっとそれを見ているだけだった。
再度、頭に銃口が突きつけられる。怜と子供が、手を繋いで去っていく。留美子はぐりぐりと、銃口を押し付けてくる。
「何すんだよ、おい……!!」
ずっと昔、両親が離婚するときに、弟が自分についてくるのがうざったくて、わざと嘘をついたことがある。父についていくと言って、本当は母を選んだ。
父を選んだ弟は、見捨てられたことに気づいて、あわれな目で自分を見上げていた。
そのことをなぜか強く思い出した。
「十七発か。何発くらい、楽しめるかな」
無感動な声で留美子は言った。
・
怜は小さな子供と手をつなぎ、田園の続く風景の中をさまよっていた。
借金は返せるはずなので、東京に帰ることもできる。でも、もう戻りたいとは思わなかった。
手を繋いでいる彼は、まだぼんやりとした顔をしている。気がついたら十歳くらいの姿で、記憶は何も持ってはいなかった。
左手の薬指には、焼け焦げたような跡がある。だが、あの金属製の指輪はもうどこにもなかった。塔の崩壊と同時に、消えていった。
彼は塔を守っていた。でも、もう塔はない。
指輪は、結婚の証だ。
人間と結婚をした人でないものは、人の形をとって結婚生活に溶け込む。そして正体がバレたら帰るのだったか。留美子に聞けば、もっと詳しく教えてくれるのかもしれない。彼女ともう気軽に話せないことは、少しだけ残念だった。
「おなか、すいた……」
小さなナダはぼそりと言う。
でももうたぶん、彼が帰ってしまうことはないのだろうと思う。バレるような正体が、もうないのだから。
「さっき買ったおむすび、食べるか」
尋ねるとこくりと頷いた。
彼は何も記憶を持っていないようだった。そうして、疲れたと言ってはべそをかき、お腹がすいた、眠いと何度もぐずった。
「たべる」
……それはあの、超然としていた彼の様子とはもう違っていた。ころんだ膝小僧を痛そうに庇っている。
どこからどう見ても、人間だった。
「なぁ、お前、もう死ねるんだよな」
きょとんとした顔で彼は見返してくる。
辻の辺りに地蔵があり、そのあたりは岩に囲まれていた。岩に腰掛けさせてもらって、怜はおにぎりを取り出す。貪るように彼はそれを食べた。
それを試すことはできない。答えを知るのは、もっとずっと後だろう。
たぶん、怜の人生が終わるのよりも少しは後だろうか。
そうだったらいいなと思う。でも、同時に彼を一人で残したくないとも思った。そんなのはきっと、何十年も後のことなのに。
「いる?」
怜がおむすびを欲しがっていると思ったのか、ナダは食べかけのそれを差し出してくる。
「うん」
かじりかけのおむすびにかぶりつく。
「おいしい?」
無邪気にこちらを見てくる彼は、一番最初に、怜が田舎で出会った姿と同じだった。怜はもう、二十歳を超えてしまったのに。
どうして彼がそういう見た目になったのかはわからない。人間になるなら、そこから始めたいと思ったのだろうか。年が離れている寂しさもあるけれど、もしそうだったならいいなと思う。
小さな怜はこの土地に来て、家族ともうまくいっていなくて、彼と会った。一緒にいたのは長い間ではなかったけれど、それでも彼に惹かれた。
兄も母も父も去ったけれど、でも、彼がいる。
「うん」
怜は小さな身体を抱きしめる。
もう一度初恋を生き直しているような気分だった。
優しく抱きしめる。閉じ込めるのでも、縛り付けるのでもなく。小さなナダの身体は、暖かかった。
「怜の匂い、する」
ぼそりとナダは呟いた。
二度と彼が寂しい思いをしないで済むように、自分に何ができるだろう。大好きだよ、と怜は小さく呟いた。
end
お読み頂きありがとうございました。