実家からの仕送りの箱の中に、封筒が入っていた。和あてだった。

 

「これ、お前あて」

 

 A4のそっけない茶封筒だ。中に入っているのは書類か何かのようだった。和はその封を開けてちらと覗くと、すぐに机の上に置いてしまった。

 

「何だったんだ?」

 

 何か大事なものではないのだろうか。和には結構いい加減なところがある。学校からもらったプリントはカバンの奥でいつもぐしゃぐしゃにしていた。

 

「何でもない」

 

 気になったけれど、無理やり奪うようなことをするのも大人げない。でも、机の上に堂々と置かれている。気になる。すごく気になる。しばらくして和が風呂に入りに行ったので、俺はちょっとだけそれを覗いてみることにした。

 もちろん手紙とか、何か個人的なものだったら見るつもりはない。でも普通、手紙をA4の茶封筒に入れては送らない。和だって机の上に堂々と置いているのだから、別に見られて困るものではないのだろう。

 俺はそっと封筒を開く。入っていたのは、書類ではなかった。

 

「何だこれ……」

 

 それは雑誌の切り抜きのようだった。モノクロの画面で、女性が一人うつっている。色がないせいか、その人の整った美貌が土くささを感じさせないせいか、外国人のようにも見えた。

 触れたら切れそうな怜悧な目、わずかに開かれた形のいい唇。

 目が離せなかった。心臓がばくばくいっていることに遅れて気づく。

 怖い、と思った。好ましいとかそんなレベルじゃなく、美しすぎて怖い。気持ちを持っていかれる。ずっと見ていたくなる。

 記事は何ページかあった。ポーズを変えていても、彼女はどれもこちらを睨みつけるように見ている。吸い込まれそうだ。少し昔の女優さんか誰かだろうか。どこかで見たことがあるような気もする。

 

「風呂上がったよ」

 

 俺はあまりにその女性に見とれていて、和が部屋に戻って来たことにまるで気づかなかった。

 

「何してんの」

 

 和は語気を荒げて言う。

 

「あ、いや、ごめん」

 

 俺は思わずあたふたしてしまった。それほど、写真の女性を見て動揺していたのだ。

 

「兄さん?」

「何でもない」

「顔赤いよ」

「え?」

 

 言われて俺は思わず頬に手をやる。まだ心臓がばくばくいっていた。

 

「そんな女のどこがいいの?」

 

 和が女性の悪口を言うのは珍しい。普段から、芸能人にも興味を示さないからだ。

 和が俺を睨み付ける。その鋭い目線に、思い当たるものがある。さっき、写真の女性を見て、どこかで会ったことがあるような気がした。

 

「あ」

 

 違う。彼女は和に似ているのだ。

 

「気づいてなかったの?」

 

 和はますます嫌そうに顔をゆがめる。

 

「初めて見た……」

 

 そうだ、和の母親は昔モデルをしていたと聞いたことがあった。とても美人だったと。

 でも、俺の家に来た和の持ち物は異様に少なかった。彼は写真のひとつも持っていなかったのだ。だから、俺はその人の写真を見たのは初めてだった。

 今まで和の口から、母親の話題が出ることもほとんどなかった。話したくないんだろうと思っていた。

 

「美人すぎだろ……」

 

 心構えもないまま目にした彼女の姿は、あまりに衝撃的だった。

 

「だから?」

「え、いや、だからってことはないけど。いや、勝手に見たのは悪かった」

 

 俺はまだ動揺を抑えきれなかった。

 

「こういう女が好きなの?」

「え?」

 

 じっと和に冷たい目線で見られると、写真の中の女に睨まれているような気分だった。あの美しい女に、目の前の和はよく似ている。

 もともと和は、平凡な俺の家族からは浮いてしまうほどの美形だった。でも、こうして見るとやっぱりちょっと度を越しているように思う。前山が「そんなにでもない」と言うのが信じられない。

 俺も普段は男相手に美人とかそんな言葉は使わない。でも、美しいとしか言いようがないのだ。

 

「兄さん?」

 

 弟の顔に見とれていたことに気づいて、あまりにも恥ずかしくて、俺はまだ手元にあった封筒に目を落とす。雑誌の切り抜きのほかに、何か小さなものも入っていた。古い写真のようだった。

 和もまた、それを覗き込んだ。

 その写真にうつる女性の髪は汗で張り付いている。完全にすっぴんだろう。寝巻のような服を着ていて、目元にはクマもあって、泣き笑いみたいな変な表情だった。

 その女性の腕には、生まれ落ちたばかりらしい、くしゃくしゃした顔の赤子が抱かれていた。

 彼女が切り抜きの人と同一人物だと、脳が理解するまで少しかかった。雰囲気が全然違う。こっちの写真は和やかで、洗練さはないけれど、代わりに親密さと喜びにあふれている。

 女性が同一人物ということは、つまりこの子供は、和だ。

 

「猿みてぇ……」

 

 俺はその赤子をまじまじと見つめ、目の前の和と見比べてみる。赤子は赤い顔をしていて、全然かわいくない。今の和とは似ても似つかない。

 

「もうちょっと顔くしゃっとしてみろよ、似てるかも」

「赤ちゃんに似なくていいよ」

 

 拗ねたように和が言うので、俺は思わず噴き出した。

 もし、と俺は思う。考えるだけ詮無いことかもしれないけれど、もし和のお母さんが生きていて、和と二人で並んでいたら。それは絶対にやばい。

 いや、そもそも客観的に言って端正な顔立ちなのだ。俺が特別な反応をしてるわけじゃなくて、就職試験でも選挙でも、人は美形を一般に好むものだ。一般的な話だ。

 

「親子でスナップとか載せてもらえればよかったのにな」

 

 でももしかしたら、もしかしたらだが、俺は特にこの系統の顔立ちに弱いのかもしれない。二人並んでいられたら、生きていられる気がしない。

 

「絶対嫌だよ」

「二人で載ってたら、十冊は買うのに」

 

 和は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

 

「俺だけなら?」

「二冊かな」

 

 言ってから二冊でも多い気がしたけれど、和は悔しそうで、そうは思っていないようだった。

 俺は改めて写真に目を落とす。そうか、この女性がビーフストロガノフを作っていたのか、と思う。汗をかいた女性は疲れた顔だけれど、とても生き生きしている。

 俺もビーフストロガノフを食べてみたかった。そしてできることなら、和が今も元気すぎるくらい元気に生きていることを、報告したかった。

 

「俺風呂入ってくるわ」

「早く上がって」

 

 風呂場に向かおうとして、俺は腕を掴まれる。不機嫌そうな和の顔が目に入る。一体俺が早く上がったらどうしようというのか。

 

「命令すんな」

「命令じゃなくて、お願い」

 

 美女に似た端正な顔立ちで、和は言う。俺は何も答えられずに、早足で風呂に向かう。

 その人どんな女性だったのか、俺はまるで知らない。

 でも梅干しみたいな顔だった赤ん坊は今、俺のそばにいて、すっかり大人びた表情で俺を動揺させる。

 それはきっとひとつの奇跡なのだと、伝えたかった。