「……これは、夢だよな」

 

 どこかで見たことがあるような、狭い部屋だった。

 

「夢だろ、うん」

 

 いわゆるデジャヴというやつか。そうだったらいい。あるいは夢。幻。何でもいい。現実ではないと誰かに言ってほしかった。

 

「なんでまた閉じ込められてんだよ!!」

 

 大声で叫んだが何も反応はない。

 どうせそうだろうとは思っていた。何せこの部屋のことはよく知っている。窓のない狭い部屋。ここからは、条件をクリアしないと出られない。

 ――セックスをするという、どうかしている条件を。

 

「おかしいだろ!!」

 

 泣いても叫んでも出られない。この部屋は何なのだろう。

 前回、何日もこの部屋で過ごしたはずなのに、外に出たときにはまったく時間は進んでいなかった。

 だから、最初は夢だと思っていた。

 でも外に出た俺と仁田見は同じ記憶を持っていた。

 たまたま俺と仁田見が同じ夢をみたという可能性はある。でも、似たような部屋に閉じ込められる夢を、同じタイミングで見るなんて変だった。

 

「……またセックスしろって言うのかよ」

 

 この部屋はとにかく狂っている。だけど俺は前のときと比べたら冷静だった。

 この部屋のことはもうわかっている。二度目となれば対処もできる。

 そう、男とのセックスは、二度目どころじゃない。外に出られてからも、仁田見との関係はずるずると続いていた。

 

「いい加減にしろよな……お前もそう思うだろ」

 

 どうしてこの部屋にまた来てしまったのか。理由なんてわからないけれど、たぶん何もしないでは出られない。それだけは確かだ。

 一緒に閉じ込められたのはやっぱり仁田見だったし、ここのところちょっと険悪な空気になっているとはいっても、気心の知れた相手だ。

 ならば結論はひとつだった。俺は座り込む仁田見の前に立ち、見下ろして言う。

 

「しょうがねぇ、すんぞ」

「しない」

 

   目を瞑ったまま仁田見は言う。殴ってやろうかと思った。

 

「もういいんだよそのネタは!」

「したくないし、たぶんできない」

 

 目を開けた仁田見が、思いのほか真面目な声で言ったのでぎくりとした。最悪なことに、俺には心当たりがあった。今すぐ逃げ出したくなる。

 

「いや、あれは……何ていうか、魔が差しただけで」

「魔が差して浮気か」

「いや、未遂だって、未遂!」

 

 俺は無理やり笑顔を浮かべたけれど、仁田見は険しい顔のままだった。まずい。これだからここのところ、俺は彼を避けていたのだ。

 だけどこの狭い部屋の中ではどこにも逃げようがない。

 

「未遂だってマジで!  やってないって!  ぎりぎり」

「は?」

「いや、ほら男って本能で新しい遺伝子を求めるっていうじゃん?」

 

 俺はしゃがんで、彼と目線を合わせる。

 

「だから、本能のせいなんだよ。まぁそういうこともあるよな!」

 

 俺の笑いだけがむなしく響く中、仁田見は急に俺の腕を掴んだ。

 間近から睨み付けられて怖い。

 今考えてもおかしな経緯だが、何だかんだで俺は彼と関係を続けている。気の迷いというやつだ。あるいはこの狂った部屋の後遺症。

 でも、目の前にかわいい女の子がいれば俺だって無関心ではいられない。そういうもんだ。俺が悪いわけじゃない。

 

「じゃあ、俺の本能は壊れてるんだな」

「いや、ちが、お前さ……」

 

 たまに怒られはしたけれど、基本的に彼は優しかった。でも、今日は本気だ。本気で怒っている。

 間近で顔を近づけて、笑いもせずに仁田見は言った。

 

「やっぱりこの部屋から出ないのが一番だな、そうすればお前はもう二度と、女を抱くことなんてできないんだから」

 

 俺は無理やり笑おうとしたが、頬はひきつっただけだった。

 

 ・

 

「あのさ……俺が、悪かった。一応」

 

 俺は白い壁を見ながら言う。この部屋は狂っていて変で、俺にはどうにもできない。

 前回、閉じ込められた俺はやむを得ず仁田見とセックスをした。それは厳密には、現実に起きたことではなかったのかもしれない。よくはわからないけれど。

 でも俺は変わってしまっていた。だから、家に訪ねてきた仁田見に告白されたとき、断れなかった。

 

「なんていうか、ほら男ならわかるだろ?」

 

 もともと男と付き合うなんて考えたこともなかった。だけど俺は実際に男と寝て、それがまぁ悪くないことを知ってしまった。

 悪くないどころか、世界がひっくり返るような衝撃だった。まぁ、いい意味で。

 自分が閉じ込められたときに、付き合ってもいいと口にしたことも覚えていた。

 だから断りきれなかった。ずるずるとまた、必要に迫られてではないセックスをして、何度もして、今日に至る。

 

「いや、お前にはわかんねぇのかもしんねぇけど……」

 

 何しろ据え膳を押しつけても食おうとしなかった男だ。

 仁田見は俺のことがどうやら熱烈に好きらしいが、愛情の向き方はちょっと変だ。ていうかぶっちゃけ怖い。

 

「だから俺が悪かったって!」

 

 俺は思いきり頭を下げる。こういうときは素直に謝るに限る。両親の喧嘩をよく見ていたから、俺は知っているのだ。

 父は浮気性だったが、毎回土下座して許してもらっていた。

 

「でも、お前だってあの日いなかったんだからしょうがないだろ?」

 

 もともとの原因は、仁田見が俺の誘いを断ったことだった。飲みに行こうと言ったのだが、大学の用事だとか言われたのだ。

 

「教授との面談だって言っただろ」

「知らねぇよ」

 

 俺は他の奴を誘って飲みに行って、そのままクラブに流れた。朝まで飲んでいるうちに女の子と意気投合して、一緒にクラブを出た。目がくりっとして大きくて、かわいい感じの子だった。

 

「一晩でさえ目を離すとそういうことになるんなら、この部屋が家の中にあればいいのかもな」

 

 壁に背をつけてぼんやりとした顔をしたまま、仁田見は言う。

 

「地下にこうして部屋を作って、鎖つけて、閉じ込めればいい」

「お前おかしいんだよ、発想が!」

 

 こいつなら本気でそういう部屋を作りかねない気がする。仁田見は一見、真面目な男のようだが、俺からしたらどう考えてもずれている。

 

「だって、外に出すと浮気するだろ」

 

 そう言われると俺は言い返せない。

 なんというか、俺の気持ちはまだ中途半端だった。仁田見と一応、関係を続けている。

 でも友人たちに対してはひた隠しにしていたし、今のところ言うつもりもない。それはやっぱり、続くもんじゃないと思っていたからだ。

 だって相手は男だ。しかもこいつ。

 

「……絶対するとは限んねぇだろ」

 

 また近いうちに、女の子と付き合い始めることになるだろうと、俺はどこかで思っていたのかもしれない。

 

「まぁそれは俺が悪かったから、さっさとしようぜ」

 

 俺は仁田見に近づく。そしてしゃがんだままの彼と目線を合わせて、じっと顔を覗き込んだ。どうして俺よりモテるくせに、俺のことを好きになったのか本当によくわからない。

 俺はそのまま、唇を寄せようとした。

 

「……っ」

 

 だが次の瞬間には、思い切り突き飛ばされていた。尻もちをついてしまい、尻がじんじん痛む。

 

「何すんだよ!」

「どうしてお前は、そう心ないことができるんだ」

 

 仁田見は心底嫌そうな顔をしていた。そんな表情を見ると、俺もついかっとなってしまう。

 

「あのなあ! 俺だって別に、したくてしようって言ってんじゃねぇんだよ!」

 

 前に閉じ込められたときもそうだった。自分から男を誘う気なんてない。なのに俺はいつの間にか、仁田見に対して下手に出ている。

 

「へぇ、したくないのか」

「当たり前だろ」

「あんなにいつも気持ちよさそうにしてんのに?」

「演技に決まってんだろ!」

 

 俺も突き飛ばされて頭に血がのぼっていた。

 

「別にいいんだぜ、俺は。じゃあこの部屋でゆっくりしようじゃねぇか。とにかく、俺はもうしようなんて言わない。お前が縋ってやらせてくれって言うまで絶対にやんねぇからな」

 

 自分で自分の首を絞めているような気もしないでもない。でももういい加減、俺ばかり折れるのもうんざりだ。

 

「じゃあ、俺はお前が『入れてくれ』って泣きながらねだるまでしない」

「そんなこと死んでも言わねぇよ!」

「いつも言ってるだろ」

「言ってねぇ!」

 

 もう売り言葉に買い言葉だった。

 

「知らねぇかんな」

 

 俺は仁田見とは反対側の壁に背をつけて目を閉じた。

 まだ気持ちが落ち着かない。だいたいこいつだって、俺とするのは好きなはずなのだ。そうじゃなかったらもう無理だと言っても、二度も三度も、へたをしたら朝方までやったりしない。

 いつも俺ばかり恥ずかしいことを言わされるのは割に合わない。

 

〝気が狂いそうなくらい好きだ。だから、しないんだよ〟

 

 普段の仁田見は、そう饒舌な方ではない。でもこの部屋では違う。あんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。

 たまには仁田見が苦しげに俺のことを「欲しい」と言ったっていい。

 想像してつい、ぞくりとしてしまった。整った顔を苦しそうに歪めて、仁田見が俺をねだる。

 ――悪くない。

 それはまったく、悪くない想像だった。

 

 ・

 

 本当に、この部屋は閉じ込めた人間に対する待遇を考え直した方がいい。

 せっかくだからゆっくりするかとポジティブに考えてみたけれど、やっぱり無理だ。

 暇で仕方がなかった。

 携帯なんてないし、思う存分寝るといっても限度がある。

 

「しりとりでもしねぇ?」

 

 仁田見は答えなかった。

 ストレッチと筋トレをしてもまだ時間は有り余っていた。当然だ。この部屋には何も時間を潰すようなものがない。

 久しぶりなので忘れかけていたが、ここに閉じ込められることはそれ自体拷問に近い。

 

「うま、まーぼーどうふ、ふた、たんぼ、ぼーりんぐ……」

 

 仕方がないので一人でしりとりをしてみるのだがむなしい。

 

「この部屋ってさぁ、なんなんだろうな」

 

 前回はちゃんと現実に戻れた。でも、今回も戻れる保証なんてない。

 今度こそ一生閉じ込められるかもしれない。セックスしたからといってなぜ出られるのか。

 

「やっぱり、出られたら時間とか経ってないんだろ? たまたま俺とお前が同じ夢を見るなんてことあんのかな」

 

 だけど一方で、もしかしたらそのうちはっと目が覚めて現実に戻れるんじゃないかと期待もしてしまう。

 

「リアル精神と時の部屋じゃん、すごくね? マジでここで百年とか修行したら、俺最強になれっかも」

 

 仁田見が答えないので、俺の言葉は独り言になっていた。

 

「まぁその前に気が狂いそうだけどな」

 

 俺はぶっちゃけ、仁田見と寝ること自体が嫌なわけではない。いや、それもどうかと思うのだが、それはそれだ。嫌だったら、外に出てからも関係を続けたりはしない。

 俺はちらと彼の方を見やる。仁田見は壁に背を付けて、目を閉じていた。

 たまにどうかしているけれどまぁ基本的には優しいし、精悍な顔立ちはうらやましいくらいだ。

 なんで仁田見が、俺のことをそんなに好きなのかはよくわからないが、まぁそれも欠点ともいいところとも言える。いまのところどちらかというと欠点だとは思うが。

 

「狂えよ」

 

 目を開けて、ぼそりと仁田見は言った。

 

「やりたい、って俺に縋り付きながら狂えばいい」

「俺を色情狂みたいに言うんじゃねぇ!」

 

 別に俺はこの部屋から出るために、仕方なくセックスしようと提案しているだけだ。

 仁田見だってやりたいのは確かなくせに、腹立たしい。

 

「なんなんだよ、出てぇだろ? この部屋」

「俺は最初から、この部屋から出ない方がいいって言ってる」

「最初はそうだったかもしんねぇけど」

 

 確かに仁田見がそう言っていたことは覚えている。でも、あのときとは状況がかなり変わっている。

 俺は俺なりに一応、仁田見のことを受け入れたつもりだった。

 

「外に出てからちゃんとデートだって行ったろ。それもなかった方がいいっていうのかよ」

 

 まるで外に出てから一緒に過ごした時間など、なかったかのように言われると腹が立つ。

 

「どこに?」

「えっと……居酒屋とか。あとコンビニとか?」

 

 確かに男同士でデートでもないと思って、いわゆるデートスポットには行っていない。というか、ほとんど部屋の中でやっているばかりだった気もする。

 でも、外で酒を飲んだことだって実際あるし、わざわざ出かけたわけじゃなくても、帰り道でちょっと本屋に寄ったり、桜を見たりもした。それだけだって立派な思い出だ。何もなかったわけじゃない。

 

「なぁ、あるだろ、外の思い出」

 

 それでもやっぱり、仁田見にとってはこの部屋にずっと閉じ込められていた方が、幸せだというのだろうか。

 なんだかそれは、とても寂しいことに感じられた。

 

「そんなに、女とやりたかったのか」

 

 まるで俺のそんな気持ちなど伝わっていないように、不機嫌な声で仁田見は言う。

 

「いや、そういうんじゃないって。ていうか、ぎりぎりとか言ったけど、つまりやってないし」

「挿入しなければ浮気じゃないって?」

「いや、そうじゃなくて、確かにベッドには入ったけど……だから悪かったって言ってるだろ!!」

 

 話はどこまでいっても平行線だった。

 

「一緒にベッドにね」

 

 余計な事まで言ってしまい、かえって彼の機嫌を損ねてしまったと気付いた時には取り返しはつかなかった。

 

「いや、ベッド入ってやりかけたけどできなかったっていうか、勃たなかったっていうか……だからつまり最初っからやってねぇって言ってるだろ!!」

 

 言葉を重ねれば重ねるほど墓穴だった。

 

「だから悪かったって!!」

 

 俺は逆切れする以外になかった。ああ、こういう風に父も切れていたなと思いだす。

 ……しかし、俺の両親は結局別れている。母が愛想をつかしたのだ。

 父と同じことをしていたら駄目なんじゃないかと俺はようやく気づく。

 

「どうしたら許してくれるんだよ、お前」

「さぁな、自分で考えろ」

 

 父と同じように謝ってもだめ。詳細を話しても怒らせるだけ。どうしていいのか、俺にはさっぱりだった。

 

 ・

 

 もともと、仁田見とは高校の同級生だった。

 高校のころ、二人で話すことは決して多くなかった。何でだったかたまに話すようになって、一緒に出掛けたりすることもあったけれど、二人きりで話したことはたぶんなかったんじゃないかと思う。

 仁田見は俺と違って、遊び好きというタイプじゃない。部活とかに打ち込んでいたタイプだ。

 でも仁田見の家は金持ちだから、一緒にいると何かと都合がよかった。

 誘いは断られなかったし、仁田見からの視線もよく感じた。自慢じゃないけど、俺はそういう機微にはさとい。何だと思って視線の主を探すと、決まって仁田見がこちらを見ているのだった。

 両親の離婚もあって、俺は母と暮らすことになり、ばたばたしているうちに卒業した。

 同級生は大学に行くやつもいたり、専門だったり就職だったりいろいろだ。親しかった友人たちもばらばらになって、愚痴を言いたくても捕まらなくて、なりゆきで話をするようになったのが仁田見だった。

 仁田見は大学に通っているが、就職したやつよりだいぶ時間の融通はきく。

 ああ、こいつ俺のこと好きなんだろうな、と気づいてはいたが、触れないつもりでいた。俺にとっては、つかまえやすい友人というだけで、それ以上の存在ではなかった。

 

「……なぁ、俺が悪かった」

 

 床にうずくまっている仁田見の背に声をかける。

 俺は恋人と長続きしたことがない。三か月で別れた彼女のあとは、二週間で振られた。相手にもだいぶ問題があったと思うが、まぁ俺にもあったのだろう。

 だからちゃんと喧嘩をして仲直りをして、という経験がない。どうしていいのかさっぱりだった。

 でも、謝る以外にないだろう。

 

「仁田見」

 

 寝ているのだろうか。彼だって暇をもてあましているはずなのに、ずっと口をつぐんだままだ。どうせならもっと話がしたい。しりとりじゃなくてもいい。何でもいいのだ。

 

「なぁ」

 

 俺は彼の肩をゆする。

 

「この部屋は、俺の願望なのかもな」

 

 仁田見はぽつりと言った。

 

「別に、お前が清廉潔白だなんて思ってない」

「な」

「俺のことだけ好きになってくれるなんて夢も見てない」

 

 とっさのことで、うまく反応できなかった。肩に触れていた手を急につかまれた。

 

「でも、この部屋にいるときは、俺以外いないだろ」

 

 そのまま仁田見はあろうことか、俺の指を口にふくんだ。

 

「や……」

 

 気持ちが悪い。そう思ったのに、なぜか背筋がぞくぞくする。仁田見の舌が、俺の人差し指の爪をなぞる。そのまま節を撫で、人差し指全体をしゃぶられる。

 濡れた口の中にある自分の指を、どうしていいかわからない。この部屋で、彼の性器を初めて舐めたときのことを思い出してしまう。

 外に出てからも色んな形でセックスはしたけれど、フェラはなんだか恥ずかしくてしていなかった。

 

「何してんだよ……」

 

 抱かれるだけならまだ言い訳できる気がしたけれど、そこまでしてしまったら取り返しがつかなくなる気がしたのだ。

 仁田見の舌は、一本一本俺の指を丁寧になぞった。下半身が反応してしまうのを感じる。

 俺は仁田見がやらせてくれと言うまでしないと言った。

 こちらから折れるわけにはいかない。でもキスがしたかった。仁田見とのセックスは、いつもそれまで感じたことのないような気持ちよさだったけれど、繋がっているときにするキスは特によかった。

 仁田見に言わせればいいのだ。やらせてくれと。そうすればこの部屋から出られる。

 このもどかしさも解消できる。

 

「この部屋意外に、お前の世界に俺以外いなればどんなに嫌だって、俺だけになる」

 

 指が解放され、仁田見の唇との間で糸を引く。

 

「俺以外は目にも入らないんだから」

 

 どうしたら、仁田見に「やらせてくれ」と言わせられるのか。俺は精一杯頭を回転させて言葉にする。

 

「俺は別に嫌とか思ってねぇし、外に出たら、何でもしてやるよ」

 

 仁田見は俺の胸に手を伸ばしてくる。調子に乗ってんじゃねぇと思うけれど、思わず甘い声が漏れそうになる。

 

「……っ」

 

 元彼女にもたまにいじられたけれど、そのときはこんなに気持ちよくなかった。仁田見に痛いほどなぶられるようになってからだ。触られるだけでびくりと反応してしまう。

 

「何でも?」

「……っ、ああ、何でも。何がいい? お前がむっつりなことぐらい知ってんだからな。コスプレでも玩具でも、何でもいい」

 

 仁田見のセックスはいつも執拗だったけれど、特に変わったプレイをしたことはない。

 

「あ、お前縛るのとか好きなんじゃね? それとも青姦とか?」

「じゃあ、好きって言ってくれ」

「え?」

 

 俺は予想外の言葉に固まる。

 

「外に出たら、嘘でいいから、好きって言ってくれ」

 

 思いがけない真摯さで仁田見はじっと俺のことを見てくる。一体どんな激しいプレイを要求されるのかと思っていた俺は、どうしていいかわからなくなった。

 こんなことを言って、恥ずかしくないんだろうか。

 でも笑って冗談にしてしまうことも許されない雰囲気だ。たぶんそんなことをしたら今度こそ殺される。

 

「え……と」

「約束するなら、跪いてやらせてくれって頼んでやってもいい」

 

 あくまで偉そうに、だけどどこか切実さをはらんだ目で俺を見て仁田見は言った。

 

「何でもするんじゃなかったのか?」

「いや、それは……はは」

 

 そんなことくらい簡単だ。縛られたり叩かれたりすることに比べたら。嘘でいいと仁田見も言っている。

 でも俺は、答えられなかった。

 

 ・

 

 仁田見にも「清廉潔白じゃない」と言われたが、実際俺は嘘くらい平気でつける。何しろ嘘は方便だ。使うべき時には使うに限る。これも父の教えだ。

 だから、結論はひとつなはずだった。

 もし言いたくなければ、実際外に出て、言わなくたっていい。

 とにかくここを出られればいいのだ。とりあえず言うと約束をして、さっさとこの部屋を出て、それから考えればいい。

 なのにどうしても気が進まない。

 

「なぁ」

 

 俺は横たわる彼の背中に語りかける。

 

「さっきの話はなかったことにして、とりあえずしようぜ」

 

 やっぱり俺が襲うしかない。それが一番手っ取り早い。

 幸いなんだか何だかもはやわからないが、俺の体は前より彼を受け入れることに慣れている。ほぐすのだって簡単なものだった。

 

「聞いてんのかよ」

 

 俺は、寝転がる仁田見を押さえつけるようにして、彼に覆い被さった。仁田見は何も答えず、俺を振り払おうとした。だけど俺は強引にキスをする。

 

「ん……」

 

 俺だって学習くらいする。仁田見は口蓋のあたりを刺激されるのが好きだ。口内に侵入させた舌でくすぐるようになぞると、抵抗する仁田見の腕から力が抜けるのがわかった。

 チャンスとばかりに俺は仁田見の下半身に手を伸ばす。

 もう抵抗感はない。結局俺は、彼と何度セックスをしたのだろう。思い返そうとしても数えられないくらいなのは確かだ。下着の中に手を差し入れ、やわく握るとそれが固くなるのがわかる。

 

「……っ」

 

 先端を刺激してやると濡れてくるのがわかる。

 何度もしたからわかっている。仁田見がどのあたりを刺激されるのが弱いのか。

 

「舐めてやろうか?」

 

 俺は仁田見を見下ろして、唇を舐めながら笑う。仁田見の喉がわずかに動くのがわかる。

 こいつは本当は、俺が欲しくてたまらないはずなのだ。

 

「ほら、体は正直じゃねぇか」

 

 俺もなんだかノリノリになってきた。まるでかたくなな乙女を襲う悪代官みたいな気分だ。

 仁田見のズボンと下着を無理やりずり下ろした。そうして、固くなってきた仁田見のものを直接擦り上げる。わざと余裕ぶって笑いながら、頬を擦り付けんばかりに顔を近づけた。

 

「これ、俺に入れてぇんだろ?」

 

 舐めてやろうかとも思ったが、眉根を寄せているだけの仁田見になんだか腹が立って、もっと直接的に刺激してやることにした。

 

「正直になれよ」

 

 俺は仁田見の体に乗り上げて、自分の下半身を仁田見のそれにこすりつけた。俺はまだズボンを履いたままだけれど、セックスそのものの動きで腰を動かす。

 

「褒めてくれてもいいんだぜ」

 

 もう何度も、俺たちはセックスをした。服ごしになんかじゃなく、じかに。でも今はじかに触れているわけではないからこそ、妙に興奮する。仁田見のものがすっかり固くなっているのがわかる。

 

「結局やんなかったんだから。偉いだろ? ……っ」

 

 仁田見が俺の服の中に手を伸ばしてきて、思い切り胸の先を摘ままれた。

 

「……っ、や、め」

 

 すでに興奮している状態のせいか、痛みよりも快感を強く感じる。先端を摘まむようにして強く刺激されると、全身の力が抜けそうになった。

 

「あ……っ痛いって、そんな強くすんじゃ……っ」

「いい加減にしろよ」

 

 仁田見の手が俺の腰を掴む。そうしていつの間にか、体勢を逆転された。

 ズボンを剥ぎ取られ、下着も奪われる。でもこれは予定通りだ。このままセックスになだれ込む流れは都合がいい。仁田見にしては、意外と簡単に折れたなと思った。

 

「約束は?」

「え?」

 

 でも、仁田見の忍耐力は相変わらずだった。同じ男として信じられない。俺は女の子とやろうとしたとき、勃たなくてやれなかった。でも今、仁田見の性器はしっかり勃ちあがっている。でも、仁田見は挿入しようとしない。

 こいつにとっては、一度のセックスよりもっと大事なことがあるのだ。

 

「さっき言った約束、どうなんだ。言うのか?」

 

 例えば俺を閉じ込めること。他の誰かを見ないこと。

 

「……っ」

 

 例えば俺が、やつに好きだって言うこと。

 適当に今、約束をすればいいだけだ。たったそれだけのことだ。

 なのに喉が詰まったみたいに言葉が出てこない。

 

「……もういい」

「ちが」

「やっぱりここで死ぬまで過ごすしかないんだろ、わかってる。それしかないんだ」

「違うんだよ! お前みたいなおかしいやつと一緒にすんな! 色々心の準備が必要なんだよ!」

 

 体はうっかり抱かれることに慣れてしまった。でも、気持ちまではまだついていかない。

 仁田見のことは最初から嫌いなわけじゃない。でも、恋人同士とか付き合うとか、そんなことは考えられなかった。俺は普通にかわいい女の子が好きだ。俺はそういう人間のはずだ。そう思って、クラブで知り合った子ともベッドに入った。

 でもできなかった。

 ……俺は、どういう人間なんだろう。

 外に出て、自分が彼に伝えるところを想像する。好きだ、と。

 かあっと体が熱くなるのがわかった。

 

「大丈夫か?」

「だから、待てって……」

 

 顔が熱い。きっと真っ赤になっていることだろう。保育園のとき、好きだった先生に花をプレゼントしたときにもこうなった。

 ありがとうと言って喜んでくれたけれど、先生は結局別の男と結婚してしまった。ばかばかしい初恋。なんでそんなこと今更思い出したのか。

 

「何でもいいから、入れろよ」

 

 俺は苦し紛れに口にする。体勢を逆転しようと仁田見を押し倒し返そうとしたけれど、体重をかけて押さえつけられて、動けなかった。

 せめて顔を隠そうとするけれど、それも腕を抑えつけられてできない。

 

「なぁさっさとしろって。言ってんだからいいだろ、入れろって」

 

 全身が熱くて、いますぐどこかに隠れたい。でもこんな部屋じゃそれも叶わない。

 早いところ入れてほしいのも本当だった。このもどかしさも、苦しさも全部、押し流してほしい。わけがわからなくしてほしい。体の奥がうずいて、腰が揺れそうになる。

 

「智典」

 

 よりによって、顔を近づけて仁田見が俺の名前を呼ぶ。全身がどうにかなってしまいそうだった。

 

「や……」

 

 だめだ、と強く思った。入れられたい。でも、今いれられたらおかしくなる。もう何回もしたことだけれど、今は嫌だ。

 

「い……やだ」

「顔、真っ赤だ」

「言うんじゃねぇよ!」

 

 仁田見の手が俺の性器に触れる。形を確かめるみたいにゆっくりと全体をなぞられる。先走りですっかりべとべとになっていた。いちいちびくびく反応してしまい、全身が信じられないくらい鋭敏になっているのを感じた。

 すごく心もとなくて恥ずかしい。

 

「や……」

 

 ゆっくりと、奥にまで指を伸ばされる。

 

「ひぁっ……」

 

 指を入れられただけで、ほとんど達してしまいそうになった。こんなのおかしい、と思う。もともと気持ちがよかったけれど、今日は怖いくらいだった。

 仁田見はためらわず、指を二本に増やして入れてくる。そうだ、俺が仁田見の弱いところを知っているのと同様、彼だってわかっている。俺の弱いところ。触られるとどうにかなってしまうところ。

 容赦なく刺激されて、びくびく全身が震えた。しびれるような、強すぎるほどの快感に声が殺せなくなる。

 

「あ……っ、んっ」

「熱い」

 

 弱いところばかりを、仁田見は執拗にえぐってきた。いつの間にか指を三本に増やされたけれど、広げられる痛みはまったくなかった。

 

「や…め、あ……っ、や」

 

 ただ喘ぐだけで文句も言えなくなってくる。この部屋の壁みたいに頭の中が真っ白になっていく。

 全身が熱くて、どろどろに溶けていくかのように感じた。

 

「や……め、も、おかしくなる……」

 

 感じすぎて、目に涙がにじんでくる。

 

「だから、狂えって言ってるだろ」

 

 仁田見はうっすらと笑いながら言った。ふざけんな、と思ったけれど指をゆっくりと引き抜かれて、それどころではなかった。

 もう何度もしたから、体が覚えている。この後にくるもっと強い刺激を求めている。

 だけど、仁田見は熱く濡れたものを押し当てながらも、そのまま挿入しようとは決してしなかった。

 

「や……」

 

 ほしくて、入れてほしくて腰が揺れるけれど、押さえつけられているせいで俺は自由には動けない。

 

「約束は?」

 

 仁田見の整った顔がめちゃくちゃむかついた。でも、文句の代わりに俺の目からはぽろと涙がこぼれただけだった。

 

「言う……言うから、ちゃんと」

 

 指を失った内側が、刺激を求めるように収縮しているのがわかる。すぐそこに熱く猛ったものがあるのに、そしてお互い欲し合っているはずなのに、今すぐに繋がれないなんて拷問のようだった。

 

「外に出たら……言う」

 

 俺はそう口にするのが精いっぱいだった。

 

「それだけか?」

 

 でも仁田見は悪魔みたいに、それだけでは済ませてくれなかった。

 

「『入れてくれ』は?」

 

 俺が約束したら、仁田見が俺に縋って抱かせてくれとねだるはずだった。でももう何もかもどうだっていいから、今すぐ欲しかった。

 

「い、れてくれ」

 

 初めて口にしたわけでもない。なのに、最初のときよりずっと恥ずかしくて、俺の声はかすれた。

 俺はどうしてしまったのだろう。こんなのまるで、俺が逆に悪代官にいじめられる乙女になってしまったみたいだ。

 

「聞こえない」

 

 だがあろうことか、わずかに笑いながら仁田見は言う。

 

「お、まえふざけんなよ……!」

 

 俺は思いきり暴れてやりたかったけれど、がっちり押さえつけられていてろくに動くこともできなかった。わずかに身じろぎすると、仁田見のものがこすれて、奥がうずいてしまう。

 

「よく聞こえなかったから、どこに何をするかもう一回ちゃんと言って」

「俺の中にお前のをだよ!! そもそもお前が言うんだろ……!」

「何を?」

「お、れのこと、抱かせてくれって……やりたくねぇのかよ! 何でもいいから早く入れろよ……!」

 

 俺はもうほとんど泣きながら縋っているような状態だった。もう恥ずかしさが頂点にまで達していて、体も頭も溶けそうだった。どうにかなってしまいそうだ。このまま俺は死ぬんじゃないだろうか。

 

「抱きたいに決まってるだろ」

 

 仁田見は顔を寄せた。もうこれは笑ってはいなかった。むしろ苦しそうに、わずかに眉根を寄せていた。そうしてぐいと俺の頭を引き寄せて、低い押し殺したような声で言った。

 

「俺だって、今すぐお前の中にぶちこみたくて気が狂いそうだ」

 

 ・

 

「や……っ、あっ」

 

 望んだ以上の固いもので強く奥まで突き上げられて、俺はあっという間に一度達した。

 だけどそんなことでは到底解放はされなかった。

 

「やっ、あっ……ああっ」

 

 繋がった部分が熱く、ぐじゅぐじゅと淫らな音を立てている。部屋を出たらどうしようとか、そんなことは完全に頭から吹き飛んでしまっていた。

 動きについていくのがやっとで、俺は仁田見の背中に縋り付く。

 

「や……っ」

 

 信じられないほど深くまでいっぱいに含まされ、強く突き上げられる。

 

「あっ…や、あ……ひっ」

 

 どろどろに溶けた内壁を、強く擦り上げられる。もうこの感覚を知っている。このままもっと気持ちよくなれることを、体が覚えている。

 

「も…っ、と」

 

 口より先にねだるように奥が中を締め付ける。ぎりぎりまで引き抜かれては、また奥まで深く突き上げられる。

 ひっきりなしに激しく突き上げられ、怖いくらい感じていた。頭が真っ白で、もう何も考えられない。

 

「こうか?」

「や……ああ…っ」

 

 ねだった以上に深くを強く突き上げられて、甘い喘ぎ声が漏れる。もともと気持ちいいことは嫌いじゃない。だけど、抱かれる側がこれほどの快感だとは思わなかった。

 最初は単に、この部屋から出られればいいだけだったのに。

 自分に対してよくわからない恋情を向けてくる男。仁田見はそれだけの存在だった。なのにこんな風にされたら、俺はもう逃げられなくなる。

 だから怖かった。

 

「ああ、ん……っ」

「気持ちいい?」

 

 あたり前のことを聞くな、と思う。これ以上耐えられない、と思うのに快楽にはもっと先があって、意識が朦朧としてくる。

 腰をねじ込むように連続で突き上げられ、息が止まった。

 ちかちかするような強すぎる快感の後、仁田見が射精するのがわかった。まだ少し物足りなかったけれど、一旦は終わったのだと思った。だけど、仁田見は俺が休憩する間も許さず、体勢を入れ替える。

 

「勃たなかったんだよな」

「何、だよ……」

 

 俺が上になってまたがる格好にさせられた。仁田見のものは、あっという間に固さを取り戻している。

 こんなときに、恥ずかしい俺の浮気話を持ち出すなんて、こいつは本当に意地が悪い。

 

「お前は、もう女の子とはできないんだろ」

 

 嘲るようでもなく、ただ事実を述べるみたいに仁田見は言う。最初は何を言われているのかわからなかった。

 あれは確かに過ちだった。そのうちいつか、俺はまた女の子と付き合うつもりで……今のところ俺だって仁田見との関係をすべて解消するとかそういうつもりはない。

 でも、女の子に誘われて気分はよかった。自分もまだ男として捨てたものではないなと思えたのだ。だから調子に乗った。

 

「何、言って……」

 

 快楽でぼんやりした頭がやっと言葉の意味を理解した頃、腰を掴まれ、下から強く挿入された。

 ――勃たなかったのはたまたまだ。俺は女の子と……。

 俺自身の体重がかかって、さっきより深くまで仁田見のものが入っている気がする。喉元にまで突き上げられているかのような恐怖と、強い快楽に頭が本当にどうにかなってしまいそうだった。

 

「ああ…っ」

 

 俺は必死に仁田見の背にしがみつく。ぐじゅぐじゅといやらしい音を立てているのは、さっき中で一度出されたからだろう。感じすぎて、苦しいくらいだった。

 

「こっちの方が、気持ちいいだろ?」

 

 仁田見の指が、繋がった部分をなぞる。俺の体が、あり得ないくらい広がって仁田見のものを喰い絞めているのがいやでもわかる。中で出されたものが、仁田見の指を濡らすのがわかる。

 

「ひ……っ、やめ」

 

 そうすると中をぎゅうと締め付けてしまい、その形まではっきりとわかる。自分の内壁が彼のものに絡みついている。息が乱れて、痛いわけではないのに涙がこぼれた。腰が自然に揺れてしまう。気持ちよくて、快楽を追うことしか考えられなくなっていく。

 

「や……いい」

「どこが気持ちいい?」

 

 仁田見にしがみつきながら、俺は気がつけば夢中で腰を振っていた。

 

「あ、ああ……っ、わかんな……っ」

 

 こんな風に抱かれて気持ちが良くてたまらなくて、くせになってしまっている自分はもう、女の子の柔らかさとか、楽しくてちょっと面倒なデートとか、そういうものを手に入れることはできないのだろうか。

 こんなつもりじゃなかった。

 

「智典」

 

 名前を呼んで、仁田見がしゃぶりつくようなキスをしてくる。俺はすがるようにその唇をむさぼった。

 どこもかしこも感じすぎて、何も考えられない。もう実際、俺はおかしくなってしまったのかもしれない。だってこんなに気持ちいいなんておかしい。

 

「全部……、全部気持ちいい……」

 

 俺は思わずうわごとのように口にしていた。

 

「動いていいか?」

 

 外に出たら言わないといけない。好きだと。今まで行為の間に、俺がそういうことを口にしたことはなかった。仁田見だって、わかっていたのだと思う。俺に言えるわけがなかった。

 でも、ずっと触れていれば情も湧く。離れがたくなる。

 

「今はだ、めだ……っ」

 

 そう言ったのに、仁田見は強く腰を突き上げてくる。目の前がちかちかして、俺はまたいきそうになった。

 

「この野郎、だめだって、言って……ぅ」

 

 ゆるく腰を揺さぶられ、落ち着きかけた快楽に火がつく。

 気がつくと自らもっととねだるように腰を振っていた。固いものが熱くとけた中をこすり、深くをこじ開けられる。感じすぎて全身が敏感になっていて、声がおさえられない。

 

「やぁ……っ、んっ、ああっ」

 

 気がつくともうわけがわからないまま揺さぶられ、何度射精したかもわからなくなりながら、俺は意識を失っていた。

 

 ・

 

 どこからが夢だったのか。夢ではないのか。

 二人きりの真っ白い部屋。

 ゆっくりと意識が浮上する。

 目が覚めると、狭いベッドの中で一緒に仁田見が寝ていた。

 長い間寝過ぎたときのように、頭がぼうっとする。ここは、たぶん現実だ。このベッドとタオルケットには見覚えがある。仁田見の部屋だった。

 どうしてまたあの狭い部屋に行ってしまったのだろう。

 まさか俺の浮気が理由ではないとは思うが、わからない。理由なんてないのかもしれない。

 

「はぁ……」

 

 夢の中で濃厚な交わりをしたせいで、まだ全身が重い気がする。でも、俺の体はきれいなものだった。

 当然だ。あの部屋は、現実にあるわけではないのだから。

 

「夢……じゃねぇよな、やっぱ」

 

 仁田見はまだ眠っていた。出られたことを一緒に喜びたいが、気持ちよさそうに眠っているので起こすのも気が引けた。

 確かに俺は浮気をした。ぎりぎり未遂だけれど。大して悪いとも思っていなかった。

 何も考えていなかった。自分にとって仁田見がどんな存在なのかとか、これからどうすればいいのかとか、何も。

 

 〝好きだって言ってくれ〟

 

 最悪なことに、あの部屋であったことは明晰な夢のようにはっきりと覚えている。前回もそうだったから、目を覚ました仁田見もきっとそうだろう。言い逃れることはできそうになかった。

 確かに目が覚めたら言うと約束した。でも、仁田見が起きているときに、なんて言っていない。よし、今言うしかないと決意して俺は手のひらを握りしめる。

 

「好…きだ」

 

 たったそれだけの言葉なのに、全身がかっと熱くなる。やっぱり俺はおかしい。何か変だ。

 その瞬間、ぱっと仁田見が目を開けた。

 

「は!? お前なんで起きてんだよ」

 

 動揺のあまり、俺は仁田見を殴りつけようとするけれど簡単にかわされた。

 

「寝てるなんて言ってない」

「卑怯だぞ!」

「どっちが」

 

 起きている仁田見に言うのは恥ずかしすぎると思って、仕方なく今口にしたのだ。本人に聞かれてしまったら意味がない。

 目を開けた仁田見は、まだ頭がぼんやりしているのか、普段よりもちょっと幼い顔に見えた。そういえば、寝顔もかわいかった。

 俺はどうして、図体のでかい男にかわいいなんて思っているのだろう。そんな思考が自分の中にあるとは知らなかった。

 仁田見といると、自分の知らなかったことばかりだ。

 

「録音しとけばよかった」

 

 目が覚めて、一人の部屋じゃなくてよかった。そうだったら、本当にあの部屋から出られたのか、また心配になるところだった。

 ここは現実で、そして俺たちはちゃんと二人でいる。

 

「別に……聞きたいときは、言ってやるし」

「じゃあ聞きたい」

「今日の分はもう終わりだ!」

 

 甘やかしたらどこまでも増長していきそうな仁田見の頭をはたく。だけどそのまま腕を掴まれキスをされて、身動きがとれなかった。

 さっき夢の中で散々したはずなのに体の奥がうずく。

 考えたくない。女の子ともうできないなんて。でも、俺は確かに仁田見に変えられてしまっている。

 

「あ……っ」

「じゃあ俺が言う。好きだ」

 

 その言葉でまた俺は魔法にかけられたみたいに身動きが取れなくなって、顔に熱が集まるのがわかる。俺はどういう人間なのだろう。この先女の子と恋愛はできるのか。できなかったら、どうしたらいいのだろう。俺はもう、全然わからなかった。