生徒会長は、生徒の中で一番偉い。学校の中のことで、俺の自由にならないことなんてなかった。
「会長、聞いてほしいことがあるんです」
「会長、こんな困ったことがあって……」
王子様のようだ、とよく言われる。柔らかく甘い顔立ちとすらりとした体格からの印象なのだろう。
俺は外見に恵まれただけじゃない。勉強は多少不得手だったが、そんなことはどうでもいい。
俺は生徒会長として何でも親身に話を聞き、自由を与え、選択肢を増やした。生徒たちは熱烈に俺を支持し、教師たちにも一目置かれた。
「俺とお前がいれば何だってできるよな」
先頭で指揮を執るのは俺。細かな帳尻を合わせるのは、副会長の樋口がやってくれた。実務的な技能に優れた参謀だ。俺たちはうまくいっていた。
大学の推薦だって簡単に手に入るだろう。
何だって、自由になると思っていた。
・
オメガに対する保健室の開放、それも俺が実施したことのひとつだった。
アルファが立ち入れないよう、監視カメラも設置した。俺はアルファだから、オメガの苦しみはわからない。だが校内で発情期のオメガはたびたびトラブルの元になる。
「耐えられない匂いっていうけど、実際どうなんだろうな」
記事を見ながら、同じくアルファである樋口が言う。銀縁のメガネをした彼は一見地味だが、よく見ると整った顔立ちをしている。口数は多くないが、仕事は正確で迅速だ。
「まぁ、理性が弱いんだろ」
俺は本能なんかに左右されたりしない。
「サルだよな」
素行の悪い学校ではレイプ事件まで起こっているという。それだけ質の悪いアルファは動物で、発情期のオメガを前に抗えないのだろう。人間性をどこかに置き忘れたクズだ。
「そういや最近は、アルファがオメガに変わることもあるんだってさ」
雑誌を見ながら樋口が言う。
俺も樋口もアルファだ。そして、今のところ特定の相手はいなかった。俺は、今まで特に誰かを好きになったこともない。樋口がどうだかは興味もない。
「生まれつきじゃないのか?」
アルファとオメガは体の仕組み自体が異なっているはずだ。
「それが、特殊なフェロモン剤で可能になるらしい。アメリカで今議論されてる。まぁ、日本で認可されるようなことなんてないだろうけど」
「へぇ」
そういえば彼の父親は厚労省の役人だ。色々最新の情報も入ってくるのだろう。
「そりゃあそんな薬あったら、家柄争いなんかしてるヤツらは欲しがるだろうなぁ」
何かとオメガは差別の対象になり、近年では問題視されていた。
「まぁ、俺たちには関係ねぇな」
樋口はたぶん、いい家柄のアルファの女性と見合い結婚でもするのだろう。
俺だって、父が自由に結婚相手を選ばせてくれるとは思えない。それが、いい家柄に生まれた定めだ。だがそのときが来るまでは、せいぜい遊ぶつもりだ。
「弱い立場に生まれたやつはかわいそうだよなぁ」
別にレイプなんてしなくたって、俺の前には抱いてほしいという相手がいくらでも列を作っている。男でも女でも選り取り見取りだ。
生徒会室にはカギがかかる。
「俺は、こういうの、したくてやってるんで……会長のために奉仕できるなら、ほんと、オメガに生まれてよかったです」
俺の信奉者の一人であるオメガが、俺のズボンを下ろす。彼をつがいになんて死んでも思わないが、暇つぶしぐらいにはなる。
樋口は俺たちにはちらとも目をやらず、つまらなそうな顔で雑誌を見続けている。たまに彼も混じることはあるが、だいたいクールな顔を通している。
「そうか、そりゃあよかった」
俺は褒美の代わりに笑いかけてやる。
人は平等だとみんな口ではいう。でも現実は違う。生まれでほとんどのことは決まる。本当は、世の中は不平等だ。それは変えようのない真実だ。
そして俺はアルファで、いい家柄に生まれ、すべてに恵まれている。
何だって自由になる。そう思っていた。
・
その日は、朝から何だか調子がおかしかった。
「ちょっと休んでるわ」
適当に言って教室を抜け出し、生徒会室に向かった。熱があるのだろうか。体が熱かった。
ソファに横たわって目を閉じる。言えば車で迎えに来てもらえるだろうが、父に知られると病院に行けとうるさい。しばらく寝ていればよくなるだろう。
「どうかしたのか?」
昼休みになって、生徒会室には樋口が入ってきた。
「ああ……」
俺はまだぼんやりしていた。
「なんか体調悪くて……」
「ふぅん」
そう言って、樋口が俺の額に手を当てる。
触れられたとき、ぴりと何か走ったような気がした。もちろん錯覚に違いない。だけど変な感じだった。
「熱はなさそうだけどな」
「もうちょっと寝るわ……」
「ああ。おやすみ」
樋口が俺の髪を撫でる。彼がそんなことをするのは初めてだった。
樋口から好かれていることは知っていた。それが単に、副会長として俺を支えるという以上の好意であることも。
正直に言えば、それは都合がいいことだった。恋心がある以上、樋口は俺に逆らわない。樋口の能力を俺はかっている。彼にいなくなられると面倒だ。
でも、アルファの男同士で付き合うような趣味は俺にはない。
樋口もまぁ、俺のそばにいられるだけで満足なのだろう。そう思っていた。
――俺が体調悪いからって、樋口のやつ、調子に乗ってんじゃないのか。
いらっとしたが、振り払うだけの気力もない。俺はそのまま、再び眠りに落ちていた。
・
「お前は神様に愛されたんだね」
死にかけだった祖母から、そう言われたことがある。
「でも、神様はたくさんいる。そして決まって嫉妬深いんだよ」
父は事業を経営していて、俺の家は金なら溢れるほどあった。だが祖母は最新の治療を断り、小さな古い家で死んでいった。いくらでも贅沢をできるはずなのに、狭い部屋で貧乏たらしい暮らしを最後まで続けていた。
母は祖母のことを嫌っていた。
「老人って説教くさくて嫌よね」
母は祖母とは違って、いつだって着飾っていたし、金を使うことにも躊躇がなかった。
「みじめったらしいこと気にしなくていいの。あんたは好きに生きなさい」
母に言われるまでもない。俺は俺の好きなように生きる。
将来的には父の会社を継ぐことになるだろう。そのためには世継ぎを作ることも必要だ。そうしたらどこかの育ちのいい相手と結婚することになる。
俺は俺の役割を果たすつもりだ。別に会社のことに大して興味はないが、そう生まれた以上、継ぐのが当然だと思っている。
――それが俺の、天から与えられたさだめだから。
俺が誰もがうらやむような外見を与えられたのも、金持ちの家のアルファに生まれたのも全部運命だ。それならば俺は全うする。
もし誰かが恨むなら、不平等に世界を作った神様を恨んだらいい。
俺は何も悪くない。この高校に入る時だって、偏差値が足りないと言われたから金を積んだ。俺の家に金があって、そして学校側が受け入れた、それだけのことだ。
「お前は頭が足りないな」
父にはっきりそう言われた悔しさは忘れていない。でも、俺の頭がよくないのは俺のせいじゃない。
それならば樋口のような、賢い人間を重用すればいいだけだ。俺は人の上に立つべき存在なのだから。手段ならいくらだってある。
何だって俺の思うとおりにならないわけがない。だってこの世は、そうできているはずなのだ。
「こっちだ」
「いや、でもここ生徒会室だぜ?」
「でもここだ、間違いない」
「うわぁ、やべぇなこれ。マジこんな匂い、嗅いだことない」
「俺、三発くらいそのままやれそう」
がやがやした声がしている。瞼が重くて目が開けられない。熱が上がっているのだろうか。やっぱり迎えを呼んだ方がいいかもしれない。
「あれ、会長しかいないじゃん」
「バカ、そういうことだよ」
「え? 会長が?」
「だってこの匂い、会長からだろ」
腕が痛い。誰かに掴まれている。まだ樋口がいるのだろうか。髪に触れられる。嫌な感じだった。
樋口が俺を好きなのはわかっているけれど、何かしてくるつもりなら迷惑だ。都合のいい兵隊として動いてくれればそれでいいのだ。それ以上の好意なんていらない。調子に乗るなら切り捨てるまでだ。
「何すんだよ……」
俺が目を開けた時、視界に入ってきたのは五人の男だった。
俺は思わず後ずさろうとするが、ソファの上ではそれもかなわない。
「な……」
生徒会とは関係のない、一般の生徒だった。いつの間に部屋の中に入ってきたのか、まるで気づかなかった。
「何か用か……っ」
口にするより早く、十本の手が競うように俺の体をまさぐってくる。
「おい、俺が先だ」
急にのしかかってきた男の体重に、吐きそうになる。
「な……に考えて! やめろ!」
俺は逃れようとしたけれど、五人に寄ってたかって触られていてはどうしようもない。起き上がることもできず、男たちに押さえつけられる。
「すげぇにおい」
「ほんと、たまんねぇな」
わけがわからなかった。男たちは完全に理性を失っているように見えた。ゾンビみたいにみんな同じ表情を浮かべている。
ぞっとした。生徒会室には普段、俺や樋口、それから何か用がある生徒しか立ち入らない。俺が「楽しみ」のために使うこともあるから、鍵だってかかるようにしてある。
俺はどれだけ眠っていたのか。もう光は夕方のそれだった。だとしたら校内に残っている生徒も少ない。
「会長、オメガだったんですね」
誰かが口にして、何をばかなことをと思った。
「俺はアルファだ……!」
生まれた時からそうだった。疑いようもない。俺は弱い立場とは無縁だ。
だけどはっと気づく。俺を囲んでいる理性を失った男たちの様子は、別の学校の事件で聞いた、アルファたちの様子と似ていた。
――発情期のオメガの匂いにやられて、頭がかーっとなって。
ありえないことだった。普通、アルファがアルファを襲うことはない。
なのに実際に俺はこうして服をはぎ取られかけている。肌に直接触れられて、嫌悪感で鳥肌が立った。
「どっからどう考えてもオメガじゃないすか」
俺にのしかかっている男が、舌なめずりをしながら言う。
「やめろ……!」
男はあろうことか、俺のベルトを外してズボンをずり下ろし始める。
あまりに危機的な状況であることを、俺は改めて認識する。このままだと、本当にこの五人全員に犯される。俺が何を言っても無駄だろう。
「誰か……っ」
俺は大声で叫ぼうとしたが、口をふさがれる。相手がこう多くては俺にはどうしようもない。携帯にも手が届かない。
誰かこの部屋に来てくれれば。そうだ、放課後にはいつも来るはずの樋口はどうしていないのか。
「樋口、おい! 樋口!!」
俺がまさに声に出したタイミングで、がらりと部屋のドアが開いた。男たちがひるむのがわかる。
俺は男たちの腕の中から、転げるように脱出する。
ドアを開けたのは樋口だった。俺は彼の顔をろくに見ることもできないまま、彼のそばをすり抜けて部屋をかけ出る。
「はぁ……っ、はぁ……」
もうかなり遅い時間らしく、通り過ぎる教室には誰もいなかった。
職員室……いや、だめだ。俺の脳裏に、別の学校であった事件のことがよぎる。レイプされた生徒が職員室に逃げ込み、あろうことか教師にさらにレイプされたという。
――保健室。
絶対に安全な場所として、俺はそこを解放した。
最悪の形で発情期と性欲が組み合わさったとき、学校は戦場になる。
アルファでかつ、強い家柄に生まれた俺は、オメガからの支持はいまひとつだった。だって俺は、本来オメガに興味なんてない。
中学だったかの頃に、目の前でオメガの女が攫われたのを見たこともあるが、見なかったことにした。弱い奴が悪いのだ。
だけど、学内での支配を完全にするためには、ベータやオメガからも支持を集める必要があった。
だから、俺はオメガのために保健室を解放した。恩恵のように受け止められ、彼らは俺を支持した。やつらは基本的にバカだ。でも俺はバカは嫌いじゃない。
バカは黙って、俺を支持していればいいのだ。
「……っ」
俺は一階の隅にある、保健室に転がりこむ。幸い誰もいないようだった。
この部屋には、外にも中にも監視カメラがある。そして部屋に鍵をかけることもできる。ここの鍵は、限られた人間しか持っていない。万一のときのために、部屋の内側には通報装置もある。
「はぁ……何なんだよ……」
俺は部屋に鍵をかけ、ほっと息をついて座り込む。
何か悪いドラッグでも流行っているのだろうか。だとしたら許しておけない。俺の学校の中では、暴力などもってのほかだ。
「こっちだ、匂いがする」
外から男の声がする。まだ俺を探しているようだった。
俺は脱がされかけたシャツを整える。どこかに、オメガのフェロモン剤でもふりかけられたのだろうか。あいつらの様子は明らかに変だった。
「どうにかしないとな……」
俺はいくらか冷静になってきて、部屋を見渡す。全身がだるく、火照るような感じだった。やっぱり風邪かもしれない。
とりあえず、今日は帰ったほうがいいだろう。だが、車を呼ぶにも携帯は生徒会室に置きっぱなしだ。
「会長、携帯持ってきてやった」
そのとき部屋の外から声をかけてきたのは、樋口だった。
「ああ、樋口、よかった」
俺はほっとして、部屋の鍵を開ける。これでやっと帰れると思った。
樋口はいつも通り、銀縁の眼鏡をかけ、ほとんど無表情だった。こいつはいつだって冷静だ。
「いや、ひどい目にあった。なんなんだよ、今日は」
「大変だったな」
部屋の中に入ってきた樋口は、なぜか手に持った携帯を、俺に渡そうとはしなかった。樋口は後ろ手で鍵をかける。
「どうした? 携帯、早く返してくれ」
「俺は、迷ったんだ」
いつも冷静な樋口だが、どこか様子が変だった。普段からあまり表情の豊かなタイプではないが、今日はより無表情で、顔色が白い。
「何言ってんだよ」
「お前が不特定多数からぐっちゃぐちゃに犯されてボロボロになって、泣きじゃくって俺にすがるところも見たい」
樋口は無感動に言った。俺はひくりと顔をこわばらせる。
「何、言って」
「でも、そんな風に誰かに渡したくない……同時にそうも思う。贅沢だよな」
「クソが……何言ってんだかわかんねぇよ、携帯返せ」
また嫌な感じの鳥肌が立つ。ここはオメガがいざというとき、安全に逃げ込める場所になるよう、俺が指示してカメラを設置させた。何かがあったとき、被害者のオメガが相手を訴えることもできるように。
だけどその映像をもみ消すことだって、樋口なら簡単だろう。
「どっちがよかった?」
樋口は冷静な顔で俺を見下ろしている。
ドアには鍵がかかっている。俺は一歩後ずさろうとするが、足がベッドに触れた。清潔なシーツのかかった、保健室の白いベッドだ。
「何、言って……お前、冗談だろ」
なぜあの男たちはあんなに興奮していたのか。発情期にあるオメガの体臭はたまらない誘惑を放つのだという。俺とは無縁の、バカげた動物的な話。
「まじで、やばいんだな、この匂い」
樋口はそう言って、眼鏡を外した。
「匂い……?」
でも、俺はアルファだ。そもそも襲われる心配などないはずだった。
「自分じゃわかんないか」
「俺は、アルファだ」
「もう違う」
俺はそのときとっさに、思い返していた。
二週間前、樋口の家に招かれて行った。専門の料理人を呼んでの夕食会だった。樋口の父は役人だ。顔見知りになることは、何かと役立つだろうと俺の父は言っていた。
だから俺は、精一杯の愛想を振りまいた。
食後に、俺にだけ変な味のお茶が出た。健康にいい、ごく少量しか取れない特殊なお茶だと聞かされた。客人へのもてなしだと言われ、俺はそれを無理やり飲んだ。苦くてまずかった。
「まさか……」
熱があるみたいに体が熱い。
俺は確かに、樋口が俺を好きなことを知っていた。知っていて利用した。もともと本当は、樋口が生徒会長になるはずだったのだけれど、譲らせたのだ。
でも、大したことじゃない。それに樋口だって俺に仕えられて嬉しいはずだった。
世の中は、強い者が勝つ。そういう風にできている。
「それともやっぱり、寄ってたかって犯されるほうがよかったか? 俺の妹みたいに」
樋口はそう言って、俺に一歩近づいた。
でもそもそも樋口は俺の恋愛相手になるはずがない。相手はアルファで俺もアルファで、男同士だ。もっと都合のいい相手はいくらでもいる。
「何の……話だよ」
体に力が入らない。樋口に近づかれると、全身がすくむ。
でもなぜか、その恐怖にはほんの少し、甘美なものも混じっている。喰われる――そんな恐ろしい予感なのに、なぜか、俺の身体はそれを待っている。
「俺の妹が攫われた時にも、お前は何もしなかった」
かつての光景が蘇る。目の前で少女は車の中に引きずり込まれた。俺はナンバープレートを見ていたし、通報できるなと思った。でも、俺の時間は貴重だ。女が一人どうこうされたところで、知ったことではないと思った。
オメガに生まれたのが悪いのだ。その女が弱かった、運が悪かった、通った道が悪かった、それだけのことだ。
「お前の妹なんて俺は、そんなの知らねぇよ……!!」
悲鳴を上げても、きっと誰も来てくれない。それどころか、あの男たちがドアを破って襲ってくる可能性だってある。あのとき攫われた少女だって、悲鳴一つあげなかった。
樋口の手が、痛いくらい俺の肩をつかむ。
体に力が入らない。いつも冷静な目が、爛々とした光をたたえて俺を見ている。
「やめ……!」
「選ばせてやってもいい。さぁ、どっちがいい?」
体が熱い。今日、朝からずっと体調が悪かった。熱があるのだと思っていた。
俺の意志と関係なく、ぼろぼろ涙がこぼれそうになる。
怖い。逃げたい。許せない。なのに信じられないことに、樋口に触れられると、じわりと体の奥が溶けるように熱を持つ。いっそ縋り付いてしまいたいと思わせるほどに。
俺の体はどうなってしまったのか。
やたらと喉が渇く。
”最近は、アルファがオメガに変わることもあるんだってさ”
熱が引いていかない。俺はアルファで、生徒会長で、この学校の中なら何でも自由にできるはずだった。それが俺の生まれだ。俺のさだめだ。
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「やめ……冗談だろ」
「お前の澄ました顔、ぐちゃぐちゃにしてやりたいってずっと思ってた」
熱っぽい息を吐きながら樋口は言う。こんなのは悪夢だ。
――神様。
俺は生徒会長で、誰からも慕われていて、学校の中のことで、自由にならないことなんてないはずだった。素行の悪い学校のように、レイプ事件なんて起こさせない。
俺はそう思って、ちゃんと役割を果たそうとしていたのに。
「さぁ、どっちがいい? 選べよ」
そのままベッドに押し倒され、俺はとっさに目をつむってしまう。悪夢なら早く醒めてくれと強く願う。神様でも悪魔でも何でもいい。いくら俺が恵まれているからってこんな仕打ちはない。
――早く、早く醒めろ。
「大丈夫、俺を選ぶならうんと優しくしてやる」
こんなことが俺の人生に起こっていいはずはない。なのに、身体の熱も目の前の男の重さも、何もかもリアルなまま、いつまでも消えてくれない。
運命は変わらないはずだ。世の中は不平等にできている。生まれですべては変わる。俺が知っている世界はそうだ。こんなのは間違っている。
――早く。
「さぁ会長、どっち?」
俺は目をつむった。それを服従の合図と受け取ったかのように、男の唇が俺の口を塞いだ。