※本編その後の話です。
踊る人形
「かっしー、これ何?」
玄関を見て、同級生の塚原は言った。
「何?」
「これ」
そう言って彼がつまんだのは、小さなフィギュアだった。どうやら下駄箱の上に置いてあったらしい。隼人には見覚えがない。
「さぁ……」
たぶん、来客の誰かが置いていったのだろう。忘れ物だとしたら、そのうちに取りに来るかもしれない。
「まいっか、ほんと助かった」
塚原はそう言って、フィギュアを戻した。
隼人の新居はそう広くない。ごく一般的な、単身者向けの1Kだ。全国どこにでもあるような、小さな部屋。
しかし、圧倒的な利点がある。
大学に近いのだ。
「はい、みやげ」
塚原はコンビニの袋から缶ビールを取り出す。もう随分たくさん飲んでいるようだった。今日はクラスのコンパだと言っていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫、電車乗るわけじゃないし」
隼人があまり酒に強くないことも知っているから、ほとんどは自分で飲むつもりだろう。
「いやー、ほんと便利だわ、この家」
お前のために借りたんじゃない、と言ってやりたくなる。
「引っ越せよ」
とはいえ、お互い金が有り余っているわけじゃないのはわかっている。塚原は神奈川の実家から通ってきていて、もう終電はない。追い出すわけにはいかなかった。
「俺実家好きなんだよね」
「親離れしろって」
「だって最高じゃん、実家」
「それはわかる」
隼人にとっても、初めての一人暮らしは慣れないことだらけだった。とりあえず生活を始めることを優先したから、家具など足りないものばかりだった。最初はカーテンさえなかった。やっと落ち着いてきたのはここ最近だ。
それでも実家とは比べ物にならないほどのメリットがある……と思っていたが、思わぬデメリットもあった。
隼人の家が大学の徒歩圏内だと知った友人たちが、飲みに来たり、泊まりに来たりするようになったのだ。終電をなくしたときというのが一番多い。中には、どうしても一限の授業に出たいので泊まらせてくれという頼みもあった。
連が来ることがわかっている日なら、さすがに断る。
わざわざ自分一人だけの場所を借りたのは、自分の自由になる一人だけの場所が欲しかったからだ。
……正確には、自分と彼の二人だけで過ごせる場所が。
コンパで酔っ払った友人を朝まで寝かせるためじゃない。
「あー、最高だな、この家俺住んでもいい?」
だが、友人の頼みをことごとく断るわけにもいかなかった。
「ダメに決まってんだろ」
連は今日、バイトだった。それでも一応、今は塚原が来ているという連絡もした。前にキレさせてしまったことの反省を踏まえて、できるだけ自分の現状は伝えるようにしている。
連は、友人が遊びにくることについて「学校近いんだからそりゃそうだろ」と言っていた。
誰も友達いないよりいいじゃん、と。
缶ビールに口をつけながら隼人は思い返す。そのこと自体に、怒ったり苛立ったりはしていなさそうだった。たぶん嘘ではないだろう。
友人との付き合いは前からあるものだし、特に最近すごく増えたというわけではない。だが、その声に何か含みはなかっただろうか。
「なー、彼女出来た?」
「はいはい」
答えられない塚原のその問いを、隼人は受け流す。
連は、何か自分に対してまた不安や不満があったりはしないだろうか。ぼんやりと彼の声を思い返しながら、隼人はビールを飲み干した。
大学に出ようとして靴を履いていたとき、ふと気づいた。下駄箱の上に、小さな人形が二つ乗っていた。
「あれ?」
この間、塚原が来ていた時には、ひとつだった気がする。彼が置いていったのだろうか。
ペットボトルのおまけについているような、小さなフィギュアだった。何かのキャラクターのようだが、隼人は知らなかった。
「ま、いっか」
忘れ物なら誰かが取りに来るだろう。それか、わざと置いていっているのだろうか?
部屋に一番多く来るのは連だが、塚原をはじめ、何度も来ている友人もそれなりにいる。誰が置いていったのかはわからなかった。
「あれ、増えてない?」
次にその人形の事を思い出したのは、塚原がお礼がてらと言って飲みに来た日のことだった。
「え?」
「ほらこの人形」
言われてみると、確かに棚の上の人形は増えていた。
小さな人形が六つ乗っている。二つだけだった時には気づかなかったが、シリーズものというわけではなさそうだった。犬もあれば、ヒーローのような人間もあり、女性もある。何となくアメリカとか、外国のキャラクターのように見えた。
「ほんとだ……」
いつのまにこんなに増えたのだろう。気が付かなかった。
「かっしーのじゃないの?」
「誰かの忘れ物かと思ってたんだけど」
忘れていったにしては、人形はちゃんと等間隔に、綺麗に並べられていた。泊めてもらったお礼だろうか。しかしこんなものを置いていってもらっても何もならない。
誰かがわざと並べたことは間違いないだろう。だけど何のためなのか、さっぱりわからない。
「これは……」
やたら真剣に人形を見ていた塚原が言った。
「暗号だ」
「え?」
「踊る人形だよ、シャーロック・ホームズの」
塚原はやけに得意気だった。隼人はきょとんとするしかない。突然に何を言い出すのかと思った。
「知らねーのかよ」
「シャーロック・ホームズくらい知ってる」
「そうじゃない、踊る人形だよ。有名だろ」
戸惑う隼人を前に、塚原はとうとうと語りだす。
それが有名な短編のひとつであること。送られてきた手紙に書かれていた、子供の落書きのような人形の絵は、実は法則性のある暗号だったこと。
「つまりこれは……誰かのメッセージだ」
塚原はやたらと格好をつけて言う。
「そうか?」
隼人の家の玄関に暗号を残して、誰が何をどうするというのか。
塚原は色々な角度から人形を眺めている。そんなところにヒントなんてないだろうと思ったが、口は出せなかった。
「腕の角度、服装、性別……何か法則性があるはずだ」
「そうか……?」
途中で飽きてしまい隼人はリビングに戻る。携帯を見ると、連からメッセージが来ていた。今日は遊びに行っていいかという内容だった。今日は塚原が来ているので難しい旨を伝える。
了解とだけ短く返信があった。連にも会いたいが、さすがに友人を追い出すわけにはいかない。
「うーん、わかんねぇ」
塚原も結局ギブアップらしい。それきり人形のことがひとまず置いておくことにして、酒盛りを続けた。
だが、人形のことはひっかかっていた。
この家に何度も来ている人間は、そうめちゃくちゃに多いわけではない。少なくとも複数回来ている人間が置いていったことは間違いないだろう。単独犯だと仮定してだが。
ミステリー好きの塚原の自作自演という線もありうる。
隼人は踊る人形についてネットで調べてみる。
何だかおもしろい棒人間みたいな絵が出てきた。旗を持ったり足を曲げたりしている、その様子で文字を表しているらしい。
隼人は塚原と違い、ミステリー小説には縁がない。暗号と言われてもちんぷんかんぷんだ。
そもそも暗号とは何なのか。
”第三者が見ても読めないように特別な変換をしたもの。通信の手段”
「通信の手段、ねぇ」
この場合、第三者というのは誰だろうか。隼人か、それとも友人か。隼人の家で、誰か友人同士がメッセージを送りあっている可能性もなくはない。その場合、隼人に気づかれないように暗号を使っているということになる。
だが一番シンプルに考えれば、メッセージの宛先は隼人だろう。
これを見る可能性が一番高いのは隼人だからだ。
第三者というのは、隼人の友人ということになる。
じゃあ、犯人は誰か。
可能性だけならいくらでも考えられる。六つ人形はあるが、ひとつずつ増えていったという確証もない。だから、六回遊びに来ている人間でなくてもいい。共謀あるいは悪乗りして、複数の人間が行っている可能性もある。
――だが、一番シンプルに考えれば。
犯人は、家に一番多く来ている連だ。
「さて――」
「は? 何?」
相変わらず、連は人の家でくつろいでいた。
もちろんそのつもりで借りた部屋だ。つもりだったのに、ここのところ、別の友人が泊まっていくことが多かった。
事前に分かっていればまだいい。連と一緒に部屋の中にいて、さあこれからという時に、すっかり酔っぱらった塚原が訪ねてきたこともある。
どんどんとドアを叩かれて、さすがに無視はできなくて、結局三人で飲んだ。
「これ、お前だろ?」
隼人は玄関から持ってきた六体の人形を、並べる。
「なんで?」
連はさすがにポーカーフェイスがうまかった。
「これゲームのキャラだろ」
連は大のゲーム好きで、特に外国のゲームをしていることが多い。隼人には縁がないから見慣れなかったが、調べて見ると人形は、どれもアメリカのゲームに出てくるキャラクターだった。
よく考えてみれば、別に悩むほどのことでもない。どう考えても連が犯人だ。
「あーそういや忘れたかも」
連は気のないそぶりだった。特に意味などないのだと言わんばかりの。
だが疑わしかった。暗号は、通信の手段だ。
「何か、言いたいことあるなら言えよ」
「別にないって」
犯人はわかった。だが、犯行の動機は? ミステリー好きの塚原のように、隼人は考えてみる。
……推理は簡単だ。
人形が置かれるようになったのはここ最近。
つまり隼人の家が、大学の近くだと友人に知れ渡り、来客が多くなってきてからだ。
もともと、連と二人の時間を過ごしたくて、そのために借りた家だ。それは今だって変わっていない。
できるだけ彼と長く時間を過ごすこと。
誰にも邪魔されず二人きりで。
「ごめん、最近」
連が、どんな気持ちでそれを置いたのかはわからない。だけどそれはきっとメッセージで――伝えたいことがあるんだろうと思った。
暗号は、解かれないと意味がない。ぱっと見にはわからなくても、絶対に誰かには読み解かれることを期待しているのだ。
「別に、いいって。友達切って引きこもってほしいわけじゃないし」
連は手の中で人形をいじっている。その言葉に、たぶん嘘はない。
嘘はない、だろうけれど。
小さな犬、小さなヒーロー、小さなお姫様。少しずつ増えていった、連の置き土産たちはカラフルだ。
存在を主張するように。さりげなく、だけど着々とそこにいた。
「何かしら置いとこっかなって思っただけ」
寂しかったとか、かまってほしかったとか、連はそんな風にはっきり言ったりはしないだろう。
だから隼人は、腕を伸ばして彼を抱きしめる。抱き込むようにすると、連は気の抜けたように長い息を吐いた。
慣れ親しんだ連の匂いがする。あまり力を込めすぎないようにと思うけれど、自然と腕に力が入ってしまう。
「ほんとはピアスでも置こうかと思ったんだけど」
呟くように連は言った。
「何でピアス?」
「女がいるって思うじゃん」
「いないけど……」
連は顔を上げ、苛立ったように隼人を睨みつけた。
「バカ」
そうして急にキスをされた。噛み付くような、短いキスだった。溶けそうになる頭のまだ少しは冷静な部分で、隼人は必死に考える。
今、一番この家に急に来ているのは塚原だ。来るなとは言えないが、急に押しかけてくることは減らせるかもしれない。
彼は「彼女ができたか」とよく聞いてきていた。もし彼女ができたと言ったら、彼もきっと少しは遠慮するだろう。
「……俺、塚原に言っていい?」
「何を」
「付き合ってるって、お前と」
抱きしめた連の頭を、隼人は撫でる。こうやって触るのは何日ぶりだろう。たぶん、そんなに長くは経っていない。だけど、それでも全然足りなかった。
連はしばらく黙った後、「びっくりして死ぬだろ」と呟いた。
「……恋人がいる、くらいにしとけば?」
そうして困ったように、少し赤い顔で隼人を見上げて言った。