「あー、もう、何なんだよ!! こんなとこで!」

 

 

 何度も携帯を見てしまうが、表示は変わらなかった。

 ――圏外。

 

「もう始まるまで一時間もないじゃん!!」

 

 それもそうだろう。車がエンストして止まったのは、森の中だった。正確には山の中腹と言うべきか。

 亨がカーナビの指示も無視して、近道だと言い張るので任せていたらこれだ。

 慌てる俺を尻目に、亨はいつもどおりの涼しい顔をしていた。

 

「まぁ、慌てても仕方ない」

 

 そう言って、亨は上着を脱ぎ、後部座席に放り投げる。それからシャツを腕まくりし始めた。

 

「お前は落ち着きすぎだ!」

 

 俺だって、普段ならここまで慌てたりはしない。紅葉の季節にはもう遅いようだが、山の緑はきれいだ。こんなところで散歩するのもいい。

 今日が、親友の結婚式の日でなければ。

 

「だいたい、携帯持ってないって何なんだよ、お前……」

 

 俺の携帯は圏外だ。だが、もしかしたら、別の会社の携帯電話ならつながるかもしれない。そういう一縷の望みもあったのに、亨はあろうことか携帯を持っていないという。

 忘れた、とのことだ。

 そんなことがありえるのだろうか。

 

「仕方がないだろ」

 

 焦る俺を横に、亨はボンネットを開き始めた。

 俺は車のことはまるでわからない。だから今日の運転も、完全に亨にまかせていた。

 親友が結婚式をするというので、はるばると二人でやって来た。式場までは、バスを乗り継いで行けないこともなかったが、仕事の都合もあり、ちょうどいい時間のものがなかったのでレンタカーを借りた。

 

「直せるか?」

 

 亨はいつも、マイペースな男だった。長身で、顔立ちが整っていることもあって、俺たち三人のうちでは一番モテた。

 大学時代のことだ。

 合コンにも、クラブにも海にも三人で行った。朝まで酒を飲むなんてしょっちゅうだったし、何度もお互いの家に泊まった。今でも思い出すと懐かしい。

 一番モテるのは亨だけれど、わけのわからない理由で振られることも多かった。俺は普通くらい。今日結婚する公威は正直なところ最下位だった。

 

「うーん、どうだろう……」

 

 一番先に結婚するのが公威だなんて、あの頃は思いもしなかった。

 

「見てみるけど、直せるかどうかはわからないかな」

「頼む、なるべく早く見てくれ」

 

 今日が公威の結婚式であることはわかっているはずなのに、亨はいつも通りだった。

 とにかく、任せるしかない。俺にはできることが何もなかった。山道なので、車も人もまるで通りかからない。きっと何かが通りかかるにしても、たぬきくらいじゃないだろうか。

 亨は顔をボンネットに突っ込むようにして、中を確認していた。

 俺は手持ち無沙汰で、辺りを歩き回る。

 狭い道だったが、異変を感じて亨が車を止めたのは、ちょうど見晴台のようになっているスペースだった。この状態なら、いきなり車が来てぶつかるということもないだろう。

 そこから見下ろすと、小さな町と、その向こうに広がる海が見えた。

 もうすぐ太陽が沈む頃だろう。

 本当に、こんなときでなければ楽しめるはずの、いい景色なのに。

 振り向くと、淡々と亨は作業をしていた。 

 

「工具とか、あったりするのか?」

「ない」

「何か、探してこようか?」

「どこを?」

 

 亨はわずかに笑った。バカにするようにじゃなく、あくまでつい笑ってしまったという風だった。

 

「そのへん……もしかしたら、何かあるかもしれないだろ」

 

 そう言いつつも、確かにこんな山の中では木の枝か石くらいしかないだろう。俺はため息をつく。

 

「お前って、焦ったりしたことあんの?」

 

 顔を上げて、亨が俺の方を見る。

 彼はいつでもマイペースだった。クラブで出会った年上美女と付き合い始めたときも、「なんかそういうことになった」と言い、別れたときも「なんかそういうことになった」と繰り返した。

 俺と公威は、説明しろだの、追いかけろだのと繰り返したけれど、亨にはいつものれんに腕押しだった。

 

「あるよ」

 

 ない、という答えが当然返ってくるだろうと思っていた俺は、反応に困ってしまった。

 

「いつ」

「言えない」

「何だよ」

 

 三人で、ずっと仲良くいられるのだと思っていた。

 だが大学卒業後、公威は実家にUターンすることになった。

 俺と亨は大学生活五年目を迎えるところだったので、一足先に彼だけ成長してしまったようにも感じた。

 実際、そうだったのだろう。

 あのときも、俺はひどく焦っていたことを思い出す。

 

”また飛行機ですぐ戻れっし、な? 飲もうぜ”

 

 公威はそう言っていた。東京で付き合っていた彼女とも、話し合いの結果で別れたと聞いていた。

 

”そんなこと言っても、結局疎遠になってくんだろ。俺にはわかる”

 

 本当は言いたいのは、そんなことじゃなかった。

 三人で飽きることもなく遊んだ。

 だけどその間ずっと、俺が見ていたのはテーブルの向こうにいた女性たちなんかじゃなかった。

 

”何だよ、拗ねるなって”

 

 俺は今日、挨拶することになっている。だからこそすっぽかせない。

 依頼されたとき、当たり前だと承諾した。

 

”挨拶はお前にやってほしいんだ”

 

 そう言われたことは嬉しかった。それは嘘じゃない。

 だけど家に帰ってから、少し泣いた。

 もう可能性なんてないのだとわかっていた。

 実際、彼が就職してから会う機会は格段に減った。

 彼は女性好きだし、俺のことをそんな風に見たことは一度もないだろう。

 言えなかった。

 スーツのポケットに入れた原稿の紙は、何度も読み返しすぎてくったりとしている。

 そこで彼への思いをぶちまけられたらと思ったこともあった。

 でも、自分を親友だと思ってくれている彼を裏切れない。完璧なスピーチをしてやるつもりだった。

 

「聞きたい?」

「え?」

「焦ったときのこと」

 

 そう言って、作業を止めて亨は俺の方を見た。

 大学入学以来だから、もう十年近く彼とも一緒にいる。亨も俺も一年留年したし、東京で就職したので公威とは違い、今でもちょくちょく飲んでいた。

 だがそれでも亨には、何を考えているのだかわからないところがある。

 

「何だよ、教えろって言ってんじゃん」

「吉昭が泣いてたとき」

「……いつ?」

 

 彼の前で泣いた覚えなんてない。

 亨や公威と一緒にいるときは、とにかく楽しく過ごすことが第一だった。辛いことは知らないふり、考えていないふりでずっと過ごしてきたつもりだ。

 彼がいつのことを言っているのか、俺には本当にわからなかった。

 

「やめろよ、そういうの」

 

 冗談なのだろうと思って、俺は笑って済ませようとした。

 でも、亨は乗ってこない。そういうテンポのやつだとはわかっているけれど、調子が狂う。

 空はゆっくりと暮れ始めていた。もうすぐ日没だ。

 結婚式の開始時間が迫っていた。

 

「もう、間に合わないかもな……」

 

 もし今すぐ車が直っても、会場までずっと飛ばせるわけではない。

 

「間に合いたい?」

「え?」

「今、ちょっとほっとしてるんじゃないか」

「何言ってんだよ」

 

 どきりとした。どうしてそんな、核心を突くようなことを言うのか。

 本当は、彼の結婚式で挨拶なんてしたかったわけじゃない。

 心の底で夢見ていたのは、そんなことじゃなかった。祝うつもりだ。ちゃんとできる。だけど、どうしても苦みはあった。

 

「本当は、行きたくなかったんじゃないのか」

「バカ言ってないで、さっさと車直せよ」

 

 図星をつかれながらも、俺は必死に冷静を装った。亨は特に文句を言うでもなく、また作業に戻る。

 いつもマイペースだと思っていたけれど、こんなに鋭いことも言うのだとは知らなかった。

 

「ちょっとタオルとってくれ」

「どこにあるんだ」

「後部座席」

 

 言われるまま、俺は後部座席を開ける。そこには、さっき亨が脱ぎ捨てたスーツが投げ出されていた。

 

「どこだよ?」

 

 急に視界が真っ暗になった。

 

「なっ……」

 

 すぐ後に後部座席に入っていた亨に、覆いかぶされているのだった。

 狭い車内だ。自分より体格のいい亨にのしかかられて、俺はろくに身動きが取れなかった。足は車外に出たままの、中途半端な体勢だった。

 

「おい、ふざけてんのか……! どけって!」

「まだ好きなのか?」

 

 俺ははっとして、亨を見た。外はもう日が暮れかけていて、車の中も薄暗い。

 

「何の……ことだよ」

 

 ずっと公威を見てきた。その思いを、亨にも話したことはない。だけどもしかしたら、そばにいた彼にはわかってしまっていたかもしれない。そのくらいずっと、三人で過ごしてきた。

 

「わかるだろ」

「わかんねぇよ」

 

 亨は相変わらずの無表情で、じっと俺を見ていた。

 昔から、何を考えているのだかよくわからないやつだと思っていた。ずっと一緒にいて、それなりにはわかるようになったとも。

 でも、本当は何も知らなかったのかもしれない。俺は公威のことばかり見ていた。

 俺が公威を見ていたとき、亨は何を見ていたのだろう。

 

「じゃあ、言ってほしいか? 公威が結婚するって知って、ショックだったんだろう」

「バカ言うな……とにかくどけ!」

 

 亨の身体は重くて、びくともしなかった。男二人で後部座席に横たわって身体を重ねてるなんて異常だ。もし外から誰かが見たら、何事かと思うだろう。

 

「どかない」

「亨……!」

 

 彼について、知っていることも確かにある。とんでもなく頑固なことだ。

  このまま答えないでいたら、亨に押しつぶされそうだった。

 

「何を言えばいいんだよ……っ」

「まだ、そんなに、公威が好きか?」

 

 亨はごくゆっくり喋った。

 俺は思わず息を呑む。疑問がいくつも頭の中をかけめぐった。いつから気づいていたのか。どうしてそんなことを今更突きつけるのか。亨は何を思っているのか。

 

「そんなこと聞いてどうすんだよ……!」

 

 俺は再度、この状況から逃れられないか試す。だが、亨は俺の身体を座席に押し付けたまま、起き上がることも許さなかった。力や体格では明らかに不利だ。

 

「……好きだって、言えば満足なのか」

 

 誰にも言ったことのない思いだった。どうせ、叶わないのはわかっていたから。

 成就を願うほど馬鹿じゃない。

 公威が女好きなのはわかっていたし、自分が友人としてしか見られていないのも知っていた。痛いくらいに。

 誰にも相談なんてしなかった。だって、望みはゼロだと最初からわかっていたから。

 友人としてそばにいられればそれでよかった。

 今日だって、せっかく親友として呼んでくれたのだ。本当は、幸せそうな彼と花嫁の姿なんて見たくはなかったけれど。

 

「ああ、そうだよ……ずっと、公威が」

 

 だがやけくそ気味に口にした言葉は、途中で遮られた。何が起きているのか、一瞬わからなかった。亨に口を塞がれている。

 

「んんっ」

 

 俺は亨の身体を叩く。だが、強引にキスをしたまま、亨はびくともしなかった。

 俺の前髪をかきあげ、角度を変え、深く唇を重ね合わせる。俺はもがいて暴れようとしたけれど、押さえつけられて、とても抵抗といえるほどの抵抗はできなかった。

 どうして、亨と狭い車内でキスをしているのか。

  

「からかってんのか……!」

 

 俺がやっと口にできたのは、それだけだった。

 俺が男を好きだったという話をしたから、バカにしてキスなどしてきたのかもしれない。亨はそんなやつじゃないとも信じたかったけれど、他の理由がわからなかった。

 

「からかってない」

「じゃあ、何なんだよ……!」

 

 亨はまだ俺を押さえつけたままで、その整った顔は息がかかるほどの近くにあった。

 彼が付き合ってきたのは、俺の知る限り女性だけだと思う。そういえば、最近は彼の恋人事情もほとんど聞かなくなった。もともと、彼女がいるときも、そちらを優先することもなく、恋人がいるのかいないのかいつもわからないようなヤツだった。

 恋愛には関心が薄いタイプなのだと、俺と公威は思っていた。

 

「わからないのか?」

 

 亨の向こうの窓に、夕焼けに染まった赤い空がわずかに見えた。

 結婚式はもう始まってしまっただろう。俺のスピーチは間に合わない。

 

「わかるわけねぇだろ……っ」

 

 答えると、スーツごしに身体をまさぐられた。

 

「やめ……っ」

 

 これから親友の結婚式に行こうというときに、何をしようとしているのか。

 俺や亨が来ないことに、やきもきしている公威の姿が目に浮かぶ。そんなとき、俺と亨がこんなことをしていたなんてもし彼が知ったら。

 

「公威の結婚式だぞ……!」

「うん」

 

 異常な状況なのに、亨だけがいつも通りだった。

 彼の顔にも夕日が照っている。相変わらずの整った、涼しい顔。何を考えているのだかわからない、ぼうっとした表情。

 

「だからだ」

 

 急に下半身に触れられて、反射的に声を上げそうになった。

 

「な……っ」

 

 後部座席は狭く、身動きが取れない。必死に身体を逃がそうとしても、すぐにドアに頭がぶつかる。

 

「やめろ……いいかげんにしろ……!」

 

 だが俺の口は再び塞がれる。亨の舌が深くまで入ってくる。歯をなぞり、口蓋の裏を舐められる。同時に亨の手は、スーツ越しに俺の腰を撫でた。

 

「んっ」

 

 抵抗しようと思っているのに、思わず変な声が漏れた。息が上がってきている。

 足を何とか動かして亨を蹴り飛ばせないかと試みる。だが、亨はびくともしない。

 

「や……っ」

 

 亨は俺の髪に指を差し入れて何度もキスをしてくる。同時にシャツをたくし上げられ、腰や胸を撫でられる。

 一体何が起きているのか。

 亨のキスは巧みだった。ゆるく身体がとろけていくようで、だんたん抵抗する力が弱まってくるのを自覚する。

 

「あ、……っ、やめ」

 

 誰か人が通りかかったら、車の修理について助けを求めなければならない状況なのに。

 もしこんなところを誰かに見られたら恥ずかしくて死んでしまう。

 

「今頃結婚式、始まってるな」

 

 いっそ忘れてしまいたい事実を亨は突きつけてくる。

 親友の結婚式の日なのに。やつはきっと、俺たちを待ってくれているはずなのに。こんなところで獣のように盛っている。

 

「なんで……っ」

 

 嫌がらせならここまでしなくてもいはずだ。

 確かに、公威のことをずっと好きだった。男三人で一緒にいたのに、そんなのは裏切りみたいなものかもしれない。

 でも、今の亨のしていることだって、すべてをぶち壊す行為だ。

 公威が結婚することになっても、それでも俺の中では三人でいる時間は何よりもかけがえのないものだった。

 あの大学を選んでよかったと、二人に会えてよかったと、そんな風に思えたのは初めてだったというのに。

 

「……や、あっ」

 

 亨の手は、気がつくと俺の下半身に触れていた。まさかそんなところまでは触らないだろうと思ったのに、器用にベルトを外される。そのままズボンをずり降ろされ、性器が空気に触れる。

 

「やめろ……っ」

 

 さすがにそこまでは、と思って逃げるために身体をずり上げようとしたが、更に強く亨に押さえつけられただけだった。

 

「あ……っ」

 

 亨の手が性器に触れている。彼はかけがえのない友人の一人だったはずだ。

 俺はバイで、女の子とも無理せずに付き合ってきたつもりだ。だけど、男も好きになれることを彼らに言ったら、三人での友情は終わると思っていた。

 だから話せなかった。

 亨だって、何人もの女の人と付き合ってきたはずだ。男と付き合っていたなんて聞いたこともない。

 なのに今は、俺の性器をこすっている。

 

「やめ……っ、亨、あ」

 

 状況は異常だとわかっているのに、刺激が的確でどうしようもなかった。狭い車内で俺たちの身体は重なっていた。亨の体重が重い。足や腕があちこちにぶつかる。

 亨の顔が近づいてくる。

 キスしようとしているのだ。俺はとっさに目をぎゅっとつむった。反射的な行動だった。

 だが、亨の手の動きがぴたりと止まる。

 俺は恐る恐る目を開いた。目から二筋、涙がこぼれているのがわかった。

 泣くなんて恥ずかしいし、みっともないと思う。でも、突然のことで頭が動転していて、どうしようもなかった。

 亨はそれを見て、気まずそうに顔をそむけた。さっきまでの荒々しい雰囲気はもうなかった。

 

”お前って、焦ったりしたことあんの?”

”吉昭が泣いてたとき”

 

 ふっとそれがいつだか思い出した。公威から、結婚の報告をされた飲み会でのことだ。おめでとうと言って何度も杯を重ねた。俺たちのうちでお前が一番早いなんてと言いながら、笑顔で。

 今までは彼女がいても、どこかでそのうちに別れるだろうと思っていた。

 でももうお互い社会人だ。昔とは違う。公威と彼女は、今後もう一生別れないのかもしれない。

 そう思ったら、自然と涙が浮かんできた。

 ――ちょっとトイレ。

 ――大丈夫か?

 ショックを誤魔化したい気持ちもあって、酒を大量に飲んでいた。ふらつく足取りでトイレに行き、鏡をじっと見た。泣きたくない、と思ったのに涙が溢れてきた。どうして、振り向いてくれる可能性など少しもない友人を、好きになってしまったのだろう。

 いい加減、もう諦めるべきなのに、どうしてまだ好きなんだろう。

 そのとき、亨が入ってきたのだ。俺があんまりふらふらしていたから、心配して来てくれたのかもしれなかった。

 亨は俺を見て、はっとした顔をしていた。俺はよっぽど情けない顔をしていたのだろう。

 

 今の亨の顔は、そのときと同じだった。

 亨は俺の方を見ずに、押し殺したような声で言った。

 

「ごめん、ずっと好きだった」

 

 ・

 

 外は夕日が沈みきり、すっかり暗くなっていた。俺は何とか、後部座席の中で身支度を整える。

 亨は外に行ったまま、なかなか車の中には戻ってこなかった。

 反省しているのかと思ったが、嫌な可能性に思い当たる。

  

「どっかで抜いてんのか……?」

 

 腹が立つのと同時に、それは少しだけ間抜けな光景にも思えた。

 公威の結婚式はどのくらい進んだだろう。今から行っても、二次会に間に合うかどうかというところだろう。

 そもそも、車が動かなくてはどうしようもない。

 しばらくすると、亨は戻ってきた。

 いつも通りの、何を考えているのだかわからない顔だった。車内には入ってこず、開いたままのボンネットに顔を突っ込んでいる。こう暗くては十分に作業もできないのではないだろうか。

 そう思って、俺は外に出た。

 亨は、携帯電話で手元を照らしながら作業をしていた。

 

「お前……携帯持ってないって言ったな?」

「そうだっけ?」

「お前のも圏外か?」

 

 亨は答えずに、もくもくと手を動かしている。

 

「おい!」

「車が直ったから、これで進める」

「ほんとに壊れてたんだろうな!?」

 

 車はちゃんと、そこそこの広さがある見晴台に停まっている。これが道の中腹だったら大変なことだったと思った。でも、そもそも亨がここに意志を持って停めたのだったら。

 俺は車のことなどわからない。免許さえ持っていない。修理は亨に任せることになるに決まっている。どこが故障していたとか、直ったとか言われても確認できない。

 亨が冷静な顔をしているのはいつものことだから、その表情だけではよくわからなかった。

 

「お前、さっきなんで謝ったんだ」

「え?」

「強引なことしたからか」

「あー……うん」

「好きだってことに関してなら、謝るなよ」

 

 俺は何も見てなかった。三人での時間が大切だったと言いながら、公威のことばかり目で追っていた。もっと色んなことが、本当は身の回りにあったかもしれないのに。かなわない恋に酔っていた。

 今頃、公威は幸せの絶頂だろうか。

 ヴー、ヴー、というヴァイヴレーションの音がする。どうやら、亨の携帯からのようだった。

 

「携帯、震えてんぞ」

「さっきから、うるさいんだ」

「繋がってんじゃねぇか!!」

 

 公威か、会場にいる友人からだろう。だが亨はしれっとした顔をして、電話に出ようとする様子もない。

 

「まぁいい。とにかく二次会に行こう。今日は飲んでぱーっと騒ぐぞ。余計な話はなしだ」

 

 そのとき、亨の無表情に、不安げな影が通り過ぎた気がした。俺の気のせいかもしれない。

 でも、俺だってそれなりに長く彼と過ごしている。見えているものだってきっとあるはずだ。

 

「お前の話は東京に帰ってから、ゆっくり聞いてやる。だから、逃げるなよ」

 

 亨は一瞬だけ、眉根を寄せた。どういう反応なのか、よくわからなかった。

  

「それは、こっちのせりふだ」

 

 困ったように、少しぶっきらぼうに亨は言った。

  

「早く行こう」

 

 俺たちはまた、運転席と助手席に乗り込む。二次会はきっと盛り上がっていることだろう。

  俺はちらと、亨の横顔に目をやった。彼の考えていることはいまだによくわからない。

 でもこれから知っていくのも、悪くはないと思った。